Heal-jam   by SHOJIRO NOSE      music and insight


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内容例として・・ 初心者にはコードチェンジを間に合わせる方法やFの克服法★経験者や弾き語り中心の方には切れ味のいいカッティングやハイポジションと開放を混ぜたアルペジオ、★ペンタトニックの手癖から脱却したい人にはコードトーンの位置やDim,Altスケールの覚え方★上級者にはクロマチックとブロークンコードの組み合わせ方やクリシェへの対応法、サブステューテッド・コード等プロ演奏者にはアッパーストラクチャーをレイキング、アウトサイドの様々な技法、2声以上を同時にコントロール★作曲・編曲も深めたい人にはキーボードで和音の転回型,4thBuild,テンションとメロディーの関係,L.I.L.など★ギター独奏研究家には正しいアポヤンドやP指のフォーム、10度,6度の複音、ボトムと旋律の関係、対位法など・・

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自宅近くで撮った写真です。
自宅近くで撮った写真です。

★みなさん、今日は何の日かお分かりですか?今日は終戦記念日です。

  2008年9月2日 記
 え?前回8月15日に同じこと書いたじゃない、と言われるかもしれませんが、本日9月2日は世界的に第2次世界大戦が集結した日として認知されているのです。「対日勝利記念日」です。
海外ではVictory over Japan Day とかV-J Day、またはV-P Dayと呼ばれ、記念切手やコインが発行されました。
終戦時の夏、ポツダム宣言を「黙殺」したために原爆が2発も落とされ、日本各地で無差別爆撃を受けたが、軍上層部や御前会議では終戦の決断ができずグズグズしてどんどん犠牲者が増えて行きました。本土決戦が迫り結局8月14日になってやっと降伏することが決まった。翌15日に「終戦に関する詔書(玉音放送)」がラジオで流れ、国内では負けたんだ〜、終わったんだ〜となるわけだけれど、海外では別にその放送聞いてるわけじゃないですから大きな意味は持ちません。太平洋上の島や北海道の北の島など、日本兵自体に伝わっていないケースもあったのですから。( なお本土に敵が上陸しても民間人含め玉砕するのだと主張して玉音放送を流させまいとする陸軍のクーデターまで起こる始末でしたが、これは以前書きましたので繰り返しません )
この国内向けの日本語放送よりも、ポツダム宣言をやっと受諾して「降伏」するということで、東京湾に浮かぶ巨大な戦艦ミズーリの甲板で9月2日に調印した、これが重要なのですね。
写真やネット動画でも多く見られます。→こちら等
 これだけ大きな戦争になると終結には確固たる手続きが必要。いくら連合国側に連絡だけしても、口約束だけで破る可能性があるからです。しかも開戦時の日本軍によるハワイ攻撃が、宣戦布告前の卑怯な行動とされているため、信用がないから。(本当は宣戦布告の通達は真珠湾攻撃の前に送信済みだったが、大使館での担当日本人が解読・翻訳・伝達をまごまごしたために遅れたのが真実。だがあまり知られていない。一方で米国は独自に傍受・解読して知っていたが卑怯な悪者相手に闘うという大義が必要だったため、伏せていたらしい。米自国民は知りたくない事実。)
 例えば当時ヒトラー率いるナチスは日本と同盟だったが、仮にもし降参しますと連合国側に連絡だけして来ても信じられないでしょう。やはり各地で武装解除した上でナチ本人なりヒムラーなりヘスが正式な場に同席して降伏条件を記したしかるべき書類にサインや調印しなければ、認定できないでしょう。(これをせず、自殺したわけですが)
 というわけで東京湾に浮かぶ巨大な戦艦ミズーリの甲板でマッカーサーや連合国各国代表が立ち会う中、日本からは陸軍、海軍、外務省の代表たちが参列し、外務大臣の重光葵、参謀総長の梅津美治郎が9月2日、署名した。
ちなみにアメリカ軍は、この際にひときわ大きい兵隊を選んで並べさせ、体格的にも優れていることを強調したといいます。

これにて総数8千万人を超える犠牲者を出した大戦が終結したのだ。
それで私は8月15日と9月2日は特別な日としてお経を唱えたり、前後には毎年新たに浮かび上がる情報からドキュメンタリーを元に学んだりします。
その中で、一般的な学校教育や、日常的な報道では伝えられていないけれど、重要なのではないか?と思うことを書いて、みなさんに知っていただきたいと思う次第なのです。

 以前は体験した人がなぜもっと語らないのか、伝えないのか…と思っていました。
でも、よく考えたら戦場で兵士として戦った人は相手を殺さざるを得なかった人も多いから、戦争とはいえその事実を講演などで語るのは、抵抗があって当然なのです。こどもたち相手の会では触れるべきかどうか色んな意味で慎重になるべき。また相手国の人からも恨まれるわけで危険にさらされる恐怖感もあります。
また直接手を下していない人や、民間人で命からがら極限の危険を生き延びた人も、つらく悲惨な体験は長い年月が経っても心を締め付けるのであって、仮にその後家族ができて幸せな生活をしているようでも拭い去れず、夢に出たり、人に話せず苦しんで過ごす方も大勢いる。話すことで何か大切なものが壊れてしまうのではないか?偏見や軽蔑にさらされてしまわないか、自分はともかく家族がいわれのない差別にさらされはしないか、という恐怖もありましょう。
だから講演会や、学校やNPOなどの催し、メディアのインタビューなどで体験談を明かしてくださる方はとても勇気のある方で稀有な存在なのだな、と思います。

★兵隊さんで悲惨なのは、やはり太平洋上の島々やニューギニア戦線で食料も医療も弾薬も供給されず、飢え死にしたり病死したりした人たち。
現在の装備を持ってジャングル入りしても、その高温多湿、スコール、ぬかるみ、吸血動物(ヒル、蚊など)、蛇、など難航するのを、予防注射もなく、ろくに食べられず、疲労困憊に栄養失調状態で、マラリアで死んだ人は多い。
ガダルカナル島では1万5千人、インパールでは4万人、ルソン島では5万人以上が羅患して亡くなった。これは本人も家族も悔し過ぎる死因です。敵と戦って散ったというならばまだしも、食料が届かなくてやせ細って動けなくなり、置いてけぼりになっていったのです。中には靴が豚皮でできているので煮て食べた人もいたということです。やがて空腹の中、意識が混濁していきますう。体力が落ちていれば当然マラリアに対する抵抗力もありませんから、熱にうなされますます動けなくなります。やがて餓死して打ち捨てられ、虫や動物に食され、スコールを浴び、泥に沈み、白骨化していく。そして今も回収されず、ジャングルの中で眠っているのです。日本政府これらを調査、捜索、回収する意識はありません。
生き延びたり捕虜になった日本兵の写真を見ると、ガリガリであばらが浮き出して、ミイラ寸前。敵兵も驚いたことでしょう。いかに司令部が無能で指揮官が思考力不足だったかが分かります。
ジャングルには逆に獲物、食べ物はあるはずなので、一旦無意味な行軍をやめてこれらを採取する方法を確立すればもう少し違ったはず。実際に小野田少尉(ルバング島に29年)や横井さん(グアム島に28年)のように終戦を知らず長年ジャングルで生き延びた人もいるぐらいだから。兵士が倒れていけばそれだけ戦力不足になるということが分からなかったのか。
または蚊に刺されて感染して死んだというのも悔しい限りでしょう。有効な薬のキニーネは不足していたため支給されたのは上官だけで、兵隊は消耗品扱い。このような戦い方の意識で兵器の性能、体格、兵士の数、情報に勝る大国相手に勝てるはずがないでしょう。
ですから終戦記念日にはこうした無念の犠牲者が成仏できますようにと、せめてものお祈りを捧げるのです。

★民間人にも悲惨な出来事がたくさん起きました。
大東亜共栄圏という名目のもと「満州国」(現在の中国東北部)という植民地支配状態で入職してい た日本人は、敗戦と同時に、追い出されます。もともと住んでいた先住の農民たちは土地を取り上げられて差別されて来た恨みを晴らすため、棍棒やナタなどを持って集団になって日本人の家を襲い、略奪します。ほとんどの地域、兵隊に出ていて抵抗できる男性はいません。女子どもと老人だけです。棍棒で顔の形が変 わるほど殴られたり、性的暴行を加えられたり、殺された人も多いということです。
皆で畑の中に隠れて、夜の闇に紛れて少しずつ移動して、なんとか 日本へ逃れる手段を探します。でも港までははるか遠く、交通手段はありません。軍は武装解除や捕虜になって助けには来てくれません。皆さん、もしそのような状況下に置かれたらどうなさいますか?食べ物もなく、怪我人もいる、小さな子どももいる、病気になるものも出る。
 運良く列車に乗れても線路が破壊されて進めない。こういう地域ほど国が引き揚げ対策は遅れて、特にソ連の占領地域は引き揚げに関して全く無関心だったということです。
港まで遠い地域は何ヶ月もケアが遅れて、満州にいた日本人推定155万人、帰国できたのは127万人。
 ある人の告白によると、集団で隠れていたが、年老いた村長さんはじめ、皆で話し合って逃亡をあきらめ、夜の畑でお互いが殺しあう集団自決を行なったということです。といっても毒薬も武器もない。はじめに力のない幼子を首を締めて殺し、大人どうしが首を絞めあって殺すのだそうです。泣きながら、すぐ後から行くからねと我が子の首を絞める母親、そして大人どうしでも、という地獄絵図。しかし生き残ってしまった子どもがご本人で、山の中を隠れ、何日もかけて命からがら港に着いて引き揚げ船に乗って帰って来たということです。
このような体験をした人たちは沢山いて、焼き討ちにあったり、ソ連兵に襲われたり、収容所に捕らえられたり、戦争は終わっているのに、心にも体にも忘れ得ぬ苦痛を刻み込まれて、気の遠くなるような過酷な道のりを経て日本に帰って来た人たち。
 また、生き延びる手助けをしてくれた中国人の人たちも多くいた証言があります。幼子を連れては逃げ切れないということで、子供だけ預かってもらって、後ろ髪 ひかれる思いで引き揚げた人たち。その時の子どもが「中国残留孤児」で、のちに政府が親子再会の手はずを作って船で帰国できた人もいます。もう大人になっ ていて記憶が曖昧な人も。
このように戦争の及ぼす悲劇は戦闘そのもの以外に多岐にわたります。

★同時多発で太平洋上の各島で、中 国大陸で、朝鮮半島で、硫黄島で、シベリアで、ビルマで、フィリピンで、沖縄で、ニューギニアで、極寒のアリューシャン列島で、国内で、悲惨な出来事が起きた。それらのすべてに熟知していなければ意見を述べてはいけないということは無いはず。
それにしてもどう考えたって、巻き込んだ地域が広すぎ る。素人が考えたって、資源のない小さな島が地球上のこれだけの範囲に軍隊を置いて、気候も必要装備も違う地域に適切な弾薬の補充、医療と食料の供給、相 手に分からぬよう正確に連絡して勝つなど到底無理でしょう。現在の技術でも無理。
そして戦場で亡くなった兵士は、実際の戦闘より、食料不足による餓死、ジャングルでの病気によるものが多い。
これはほとんどが軍上層部の作戦ミスや自国軍の兵士をゲームの駒以下にしか見ていないような、人命を軽視した机上の地図上でただ動かすだけ、失敗は隠す、軍派閥での意地の張り合い化かし合い・・・。
高 級軍属、大本営の司令官はどろどろの前線の実地体験がないので、想像力の欠如が著しい。標高の違い、湿度の違い、降雨量、蚊など昆虫の媒介による感染病、 地面のぬかるみによる体力のロス、熱中症、脱水症、栄養失調。むしろ登山家や医師、動物学者など専門家を招集して対策を練るぐらいでなければいけないので はないでしょうか。
こういう無能な指導者、指揮官をポストにつけたことが罪なのです。そういうお国の構造だったのですね。
 今私たちはこういうことを繰り返さないために、全ての被害や戦況を学んでいなければ意見を述べてはいけないということはありませんが、せめて終戦記念日などにじっくり調べてみるのは大切と思うのです。
もちろん洗脳に近い教育によって天皇は神であり、日本は特別な加護を受けているカミカゼの国、と盲信してやまなかった人たちもいて、民間人やメディアも歯止めが効かなかったということは理解しておく必要があります。
当時の子どもたちの絵日記を読んでみると、完全に国粋主義に染まっています。兵隊として戦うのが憧れで、誇りで、兵隊さんごっこをします。伝えられる戦況で一喜一憂します。そして鬼畜米英に捕虜になるぐらいなら自決すべしという「戦陣訓」が叩き込まれていきます。
一方で知性のある人たちは疑問に思いましたが、意見を述べようものなら憲兵に逮捕されてしまいます。非国民と村八分にされた人もいるでしょう。しかし桐生悠々のように堂々と新聞で批判を書いて、「関東防空大演習を嗤ふ(わらう)」を発表するような強者もいました。
また小説家で軍部の命令で、仕方なく戦争を賛美する作品を書いたり、兵士の活躍を書いた者、逆に拒否して投獄された者、軍隊を鼓舞する曲を書いた音楽家・・など芸術表現にも恐ろしい影を落としました。
 こうしたことは知っておくべきです。細かな戦況の変化の日時や、犠牲者数を暗記していなくても、今後意識を操作されないか防御する準備は必要と思うのです。 つまりプロパガンダやミスリーディングに騙されないように、あるいは加担しないように注意を払う必要があること。それは考えもしない手法で意識に滑り込ん でくる。ある時は楽しいイベントとセットで、ある時は前回書いたように新たなストレスを生み出し、それを解決するためにお金を払うという偽りの必要性に よって、あるいは敵のように想定されたものに対する正義という衣をまとって現れるかもしれないのです。
技術や情報の洪水の中でかつてはなかった手法で産み付けられるかもしれない。
だから私たちは過去の出来事を注意深く分析し、記憶にとどめ、結局は人間の根源にある純粋さ、情緒、思いやり、発想の豊かさを持って生きて行くべきと思うのです。

まだ書き足りないことは沢山ありますが、一旦ここで筆を置くことにします。

    2008年9月2日 記
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↓ 前回アップした記事です。


7月、雨の朝、ヒグラシたちは悲しげに鳴きます。

  凛とした響きで、悲運に去る者たちを見送るように。
8月、雨の朝、ヒグラシたちは哀しげに泣きます。

  息も絶え絶えに、まるで自分たちを弔うかのように。

   2018年8月15日 記

 豪雨によって亡くなられた方のご冥福を祈ります。またその親族の方々の悲しみ、未だ行方不明で探している方々、家が倒壊したり砂まみれになって復旧に困っている方々、避難所で暮らしている方々、その苦しみが少しでも軽くなる日が来ることを祈っています。

★終戦記念日です。 

  皆さん、今日は終戦記念日です。毎年この時期には、このヒールジャム冒頭ページに戦争の歴史や、新たにわかった事実などのコメントを書いております。
  私は右翼でも左翼でもなく、アナーキストでもなく、政治団体にも宗教団体にも属しておりませんが、現時点で日本という場所で生活している以上無視し続ける のは無責任になる、ましてや芸術家として作品を送り出す以上は立ち位置をしっかりしておく責任もあると思う点で、学んだこと、体験したことなどをもとに書 いています。
 毎年繰り返す部分もありますが、初めてこのサイトを見る方もいらっしゃいますし、自分の確かめの意味もあって書いています。

 ここ数年、かつて若い兵士として戦場を経験した人、こどもとして満州からの引き揚げや、ソ連の突然の条約破りで終戦後進侵攻して来た北の島での卑劣な暴挙を目の当たりにして来た人々が、もう80過ぎて、今まで語らなかったことを、死ぬ前に伝えねばと語り始めています。
 アメリカの公文書の公開によって明らかになった記録から当時の様子がまざまざとよみがえるという部分もあります。

  これを機に例えばルソン島(フィリピン)での悲惨な戦い、戦争孤児達がどのように差別を受けて来たか、原爆投下時の悲惨な光景、満州に取り残された人たち の集団自決や逃避行、工業地帯でない港町への戦闘機による襲撃、秘匿されて来た日本の諜報部隊の様相、その他学校教育では触れられない残酷な戦争犯罪の 数々、これらはテレビのドキュメント番組、ラジオ番組でも明らかになってきました。でも意識していないと見過ごしてしまいますし、バラエティー番組やスポーツ中継等の影に埋もれてしまいがちです。

 それを、こういうことが報道されましたよ、とお知らせする意図もあり、書いております。

★人間は自分の日常から遠く離れた、忌避的な内容からは、目をそらしたくなる。
聞かなかったことにする、知らないふりをしたくなる。自分の身に起こったことでさえそうして心の安定を保とうとします。

 ですから遠い過去に起こった想像を絶する悲惨なことごとを、伝えられて真正面から捉えて、解決方法はないのか、と向かい合える人は多くはないです。
学校教育の中で戦争の悲惨さを写真などを交えて教えても、今ひとつ入ってこない。
その理由の1つに、自分が無力で重火器の前にさらされた時、ということを想像できないこと、重火器の威力自体を知らない、ということがあります。
カッコイイ漫画や映画の主人公は、敵の軍団が撃ちまくる弾幕の中でも当たらず、こちらが撃った弾では敵が次々と倒れる。
 もし主人公が撃たれてもすぐ治る。こういうことに慣れてしまっているのです。
チャンバラの昔から「活劇」というものはそういうものとして描かれてきました。
その後、死後の世界でも特訓して生き返る、又は幽霊として参戦する、という設定も登場する。
 ですから一回撃たれれば終わり、やり直しはきかない、という恐怖感が想像出来にくくなっています。
 この40年ほどはビデオゲーム(コンピュータやケータイ、ゲームセンターの機器)では、撃たれて死んでも次のゲームができるのが普通です。格闘技で闘って、残酷に倒されてもすぐ第2ラウンドが始まり無傷のコンディションで再戦します。これを子供の頃から1日に何十回も繰り返し、成長過程で何万回も行う。
これでは「やられる」という恐怖を想像するのは身につかないと思います。
実際に総合格闘技の試合などに出たとして、殴られれば痛いし鼻血もでるし、まぶたが腫れて見えにくくなります。蹴られれば、その激痛に、内臓が破裂したか もしれない、足が折れたかもしれないと動揺します。腕を絡まれれば、肘の靭帯が損傷するかも、首を絞められれば息ができず、死ぬかも、と思います。そうし た恐怖感、焦燥感、絶望感、恥ずかしさ、悔しさ、そういうものがビデオゲームにはありません。自分は柔道や少林寺拳法を学んだことがありますので、想像で きます。
 しかし銃火器では全く通用しないでしょう。遠くから引き金を引く(クリック)だけでお腹に穴が開いたり、頭が吹っ飛んでしまうのですから。
ゲームの中では簡単に続きができるし、相手を弔ったり、家族に謝罪に行ったりしません。
 もしコンピューター側がやられた時に勝手に再起動して再戦して来たら?泥沼の復讐合戦になって終わりがなくなります。そうなれば睡眠時間や、友人との交流、学びの機会は浸食され、肉体的にも精神的にも不健康な状態になるでしょう。
そう、つまりこれらは人間が、「わざわざストレスを作り出して、それを解決したくなる欲望を利用した商売」なわけです。これに踊らされてお金を払い続け、マインドコントロールされている状態ってもしかしたらたくさんない?
ドラマや映画での敵対設定、パチンコや競馬などのギャンブルとか、コレクターズアイテムとか、ジェットコースターとか、おばけ屋敷とか、入手困難なチケットとか。

  パチンコ場に行かなければ「負ける、すられる」という悔しい状態には出会いません。いったんお金を損すると取り戻したいという欲求が生まれ、抜けられなくなります。その中で適度に時々勝たせる設定に なっているので、「ラッキー!運が向いて来た」とか勘違いして続けてしまうのです。でも商売ですから、お客の方が儲け続けるようにはできていません。倒産 しますから。1ヶ月単位、1年単位で使ったお金、戻ったお金をメモしておけばマイナスになっているはずです。そしてその収益は、実は国外に吸い取られていたりします。
有名なアニメの設定やキャラクターなどもこの産業に利用されます。契約すると凄い利益になるため断れないのでしょう。
  かつて「たまごっち」というおもちゃがありました。小型の丸っこい端末のビデオゲームで、架空の生き物を育てますが、頻繁に面倒を見ないと死んでし まったり、凶暴になってしまったりする。そこで子どもたちは常に持ち歩き、育て具合を見せ合ったりしますが、授業中もいじったりするので、学校では困らさ れました。(私はかつて教員でしたので)
さらにこれが、生産数を少なくしたり、出荷を制限したりすることで「欲しい人が買えないというストレス」を生み出し、レアもの感を演出する。
するとお金に余裕のある人は高値でも買うということで、ネットオークションなどで法外な値段で取引される。話題にもなり注目される。ただしこの出品者がBAN○AI関係者でないという保証があるのかな。
     今、似たようなことがあります。「ガチャガチャ」とか「ガシャポン」と呼ばれるカプセルトイですね。昔から駄菓子屋の店頭や遊園地などにあって、お金を入 れてダイヤルを回すとゴロンとプラスチックの卵のようなものが出てくる。この中に様々なアイテムが入っているわけです。かつては文具だったり、おもちゃの 指輪、ガム、知恵の輪などでしたが、やがてキャラクターグッズやミニカー、リアルな動物フィギュアが増えて来ます。似たようなものにカラフルな銀紙に包ま れたチョコの内側にプラスチックの卵型容器が入っていて、開けると色々なアイテムが入っているという、キンダーサプライズとかチョコエッグ、チョコQ等も あります。
本来、何が入っているのかな?というドキドキと、これは何だろう、あ、そういうことかと理解する、という喜びだったので、他にどんなものがあるのかわから ないという、謎も楽しみだった。それがだんだん、こういうシリーズですよという写真付きの紙が封入されていたり、貼ってあったりする。すると「収集癖」が 刺激され、全部揃えたくなる。飾る楽しみ、持っているという所有欲、他の人はあまり揃えられていないという優越感、中にはネット上で写真を披露して自慢す る人もいるでしょう。こうしてシリーズ化したものを揃えたいという欲求が「創られ」ます。
アメリカの「Spawn 」ブリスター・フィギュアの革新(一時期集めました)か ら日本の小型おもちゃ造形も飛躍的に進歩して、今ではコンビニの食玩や缶コーヒーに付属した筒型容器、このガシャポンでも精妙な仕上がりのフィギュアや根 付けが展開されています。ユーモアのある造形、猫に被せるかぶりもの、などなど。ところが販売のおじさんと話をしてみると、そこにあるケースの中でコンプ リートできるとは限らないという。同じものが2回出てきてしまったり、目当てのものはなかったり。すると「ギャンブル性」というものが出てきます。
そしてたまごっち方式で、揃えてあるぞとオークションに出品されて競い合い高額になる。それを高値で買ったことで、所有欲は満たされるがある意味「ズル」 なのでギャンブルでは負けたことになるのだが。この中で、子供が欲しがるアイテムがあり、たまごっち方式で数が少なく中々出てこない。すると子どもは何回 もやってお小遣いを使い果たし、欲しくないものがたくさん手元に残る。かつての仮面ライダースナックのカードみたいなことに。
そこでお金に余裕のあるお年寄りがネットなどで何万円もかけてゲットして孫にこれがあるから遊びにおいで、ということになるのだそうだ。つまり遠くにいる おじいちゃんが孫の顔を見たいが中々きてくれないので、喉から手が出るほど欲しがっているガシャポンを法外な値段で入手して、それを目当てに遊びにきても らうわけですね。これって正常?
出品してる人誰?
このように新たに色々なストレスを産み出してそれを解決するためのお金で儲ける、という手法。これに踊らされるのって寂しくない?
 例えば手の込んだ食べ物で1日にこれだけしか作れまへん、という手作りのお店、行列になって、結局完売でたべられないひともでる。こいうのは仕方ないで しょう。品質が低くなって大量に作るよりも、作り手が納得いくものを丁寧に作っているから数に限界がある、ということ。これは工場で大量生産できているの に出荷を制限して「インチキの希少性という付加価値」を作るのとは違うのだから。つまり何のためにやってるの?という原点が問われる。自分が工夫したこ と、努力を重ねたことをお客さんが理解して評価して、喜んでくれる。その対価としてお金をもらい、生活する。農作物でも、建物でも、演劇でも、漫画でも、 音楽でも!それを、イライラさせる元を作って儲けようというのはどうかな・・。
  話は戻ります。ゲームの世界でゾンビやモンスターを殺しまくる、時には一般人も。この逆の状態を表示したらどうでしょう。モニターの中に自分が選んだ キャラクターがこちらに銃を向けて発砲する、私の胸に穴が開いて血が飛び散る、または大きな剣で切りつけてきて私の腕が切り落とされる、お腹から内臓が出 てしまう。あなたはこういうことをして楽しんでいるんですよ、と認識できる逆の視点。やられる側の立場が想像できるようにするゲーム。もちろん売れないで しょう。爽快なストレス解消にはならないでしょう。
でも、戦争で、どう?無人攻撃機を飛ばして、離れた基地や戦艦の中でビデオゲームのように画面を見て爆撃。もし撃ち落とされてもこちらは生きている。しかし病院を誤爆して民間人やお医者さんがたくさん死んだら生き返りません。
 誰が償うの?どうやって償うの?

・・・・終戦を機にいろいろ「病んでる」な、と思うことに触れるのも能勢流で、私がテニアン島など南太平洋で見たり、現地の人から伝え聞いたスーサイドク リフの出来事や原爆ピットといった実際に見たなまなましい傷跡と関連づけて掘り下げたいのです。一見無関係のように思える事象は実は同じような構造を持っ ているかもしれないとも思えます。

 戦争自体が「ストレスを作り出して、それを解決するためにお金を払わせる商売」の手法じゃないのかな?と感じるからです。

 この続きはまた後日・・・。

家からは近いけれどあまり人の来ない清流の脇で、戦時中と同じせみの鳴き声、水の音を聞きながら書きました。お昼には正座して般若心経を唱え、各地で散って行った未曾有の命の冥福を祈りました。

  2018年8月15日  記



★東北大震災からもう7年 関連死3,647人について考え直す必要あります。避難者はまだ7万3千人。

  2018年3月11日 記
家族・親族を亡くされた方、お悔やみ申し上げます。後年に関連死で亡くなられた方、ご冥福をお祈りいたします。
また、地震からも津波からも被害を免れたのに原発事故によって今も遠く離れた不慣れな土地で暮らす方々の悔しさ、怒り、お察しいたします。

私は3月11日14時56分に黙祷いたしました。毎年、この未曾有の大災害を振り返って、自分の生き方を問いなおすことにしております。
 また、年々世間一般では危機感やいたわりの意識が薄れて来たように思いますので、このページを使って黙祷だけでなく「文祷」もするようにしております(造語ですが)
 亡くなった方1万5895人、未だに行方不明の方2539人という状態です。

震災関連死で亡くなった方が3647人ですので、2万人を超える犠牲者の出た大災害なのです。
 その後土地の高さを2〜3mかさ上げする造成が進み(3県30地区4800億円)、住宅が建てられたり、交通機関が再開してある程度商店が戻った地域もありますし、人口が少しずつ地元に戻っている地域もある。夏に限定的ながら海開きをした浜もあります。一方で未だに故郷に帰れず、失った家や店を建て直せない、放射能汚染によって職業を再開出来ない、鉄道路線の修復が終わっていないところもあります。
あまりにも範囲が広く、土地ごとの事情が違うため十把一絡げに東北は、と言うことは失礼に当たるでしょう。
 ただ、避難者はまだ7万3千人いらっしゃいます。(復興庁調べ)
とても「復興の仕上げ段階に入った」とは言えないと思います。
復興庁のサイトで避難者の内訳を見てみると・・
仮設住宅や公営住宅、民間の賃貸住宅等にいる方が5万3446人で前年度より1894人減、
親族・知人宅が19632人で36人増、
病院等が271人で1人増  
73349人で1857人減
地域別では福島県17189人、宮城県9795人、岩手県8855人なのでやはり福島県が圧倒的に多い。いかに原発事故の影響が大きかったかを示しています。
 また仮設住宅の人が減ったのは強制避難だった地域が解除されたことも多いでしょうけれど、仮設住宅の無償提供が昨年11月に終了してしまったことも関係しているでしょう。必ずしも故郷に帰れたのではなく、親族・知人宅の数が増えていますのでそこへ移らざるを得なかったというケースもあると思います。
★また、毎年書いていますように「震災関連死」で亡くなる方がまだ増えています。
ですから亡くなったことで仮設住宅使用者が減ったという分もあると思います。なんと調べてみたら未だに毎年100人以上が亡くなっているのですよ。
「震災関連死」とは阪神淡路大震災で認識されて来たもので、仮設住宅や移住先の生活環境が悪く、精神的なストレスから睡眠不足、水や食料を十分に取れないことから脱水症状になったり、ストレス過多で心不全が増してしまうのです。
 東北大震災・原発事故の場合は津波や火災で家族が亡くなったことによる精神的ショックや周囲となじめない孤独感、言われない差別、といった過酷な避難生活が長期にわたっています。これは交感神経を緊張させ、血圧が上昇し、脱水も加わり、血液粘度が増して血液の塊(血栓)ができやすくなり、脳卒中・心筋梗塞を引き起こします。
加えて医療機関が遠くなったり交通の不便によって持病の悪化などから体調を崩し、免疫力が低下し、感染症、肺炎のリスクも高まります。さらに高齢者は生きている間に故郷に戻れる見込みが無いという絶望感からの病死や自死というようなケースもあります。
累計でなんと3,647人が関連死で亡くなっています。

阪神淡路大地震の犠牲者が6435人ですから、その半数以上の人数がこの関連死で亡くなっているのです。
 復興庁のサイトのデータを見てみますと、福島県で66歳以上の方が累計1984人と半数以上を占めていることはやはり原発事故の罪の重さを示しているように思います。
半年ごとの調査のpdf書類がありますが、表が非常に分かりにくく、冒頭に書いてある数字とも一致しないので、毎回の報告に文面で書いてある総数を地道に書とめ、前年度との比較を自分で計算して整理しておきましたのでご覧下さい。おどろくべきことが分かってきます。

時期 累計 年間死亡数 経過年数  
昨年9月までで 3647人   6年半後  
29年3月 3591人 119人 6年後  
28年9月 3523人      
28年3月 3472人 141人 5年後  
27年9月 3407人      
27年3月 3331人

242人

4年後  
26年9月 3331人      
26年3月 3089人 401人 3年後  
25年9月 2916人      
25年3月 2688人 1056人 2年後  
24年9月 2303人      
24年3月 1632人 1632人 1年後  
         

未だに毎年100人以上が亡くなっていることをみなさんご存知ですか?報道されていますか?
せっかく地震や津波から助かったのに、避難先で無念の死を遂げる方々・・。可哀想すぎます。
1年目は初期の混乱や仮設住宅設営が間に合わないとか不足、不備があったと思いますが、2年後までに2千人以上亡くなって、その後現在までおよそ1000人亡くなっています。
ところが復興庁の書類の冒頭を見ると毎回半年間で亡くなったのは4人とか8人とか書いているのです。いったいどういう計算法なのだろう?これを読んだ人は減ったんだな、改善されたんだなと感じます。対策も消極的になるでしょう。こういうのをミスリードというのではないでしょうか?
続く別表をじっくり見ればおかしいことが分かるのですが。公文書の書き換えとか政府がやりますし・・。

★ところで、福島県各地には、汚染した表面を削り取った土や草木といった「除染廃棄物」を入れた黒いバッグが積み上げられています。今はフレコンバッグと呼ぶそうです。フレキシブル・コンテナ・バッグの略で、化学繊維で折られて1トンほどの収納に対応しているようです。土嚢(どのう)として使ったり穀物や飼料を保管したり、土砂や粉末状のものを運搬するのに使われるものです。
これに各地(福島、宮城、岩手、栃木、茨城、群馬、千葉)で線量の高い地域部分を削り取った土砂などを入れて、膨大な量が積み上げられているのです。4段まで積み上げるとショベルカーが埋もれそうなほど。もちろん袋に放射線を遮断する機能はありませんから、ある場所を除染して線量を下げても、別の場所に集めればそこの線量が上がります。
上や横には汚染されていない土を入れたフレコンを積んで覆って放射線が外に漏れにくくし、その外側に雨除けの巨大ビニールシートをかぶせるということになっているようですが・・・→こちら
私が見たテレビの映像や写真ではただ積んで一面が黒い面積になっているものだけです。→こちら等
 こうした広い「仮置き場」はおよそ福島県で1100カ所。民家や学校に置かれている「臨時保管」13万7千カ所もある。近所の人が不安になるのは当然のこと。
 これらが事故のあった原発に近い双葉町と大熊町で建設中の「中間貯蔵施設」に運び込む予定。そこの収納限界は2200万袋分(東京ドーム18杯分だそうだ)。
ある仮置き場からは8台のトラックで1日3往復160袋を中間貯蔵施設に運ぶという。ということは一台で6袋しか積めないんだね。
この中間貯蔵施設に置くが、そのあとどうするかは決まっていない。
それでこれを「除染」ではなく「移染」だと思っている人も多いようです。
場所を転々と移動しているだけでたらい回し。かといって子ども達もいる生活圏内で高い線量を放ち続けるのを対処しないでおくわけにもいかない。

 私の住んでいる地域で以前ゴミ処分場建設の問題がありました。山の中に新しい最終処分場を作るということで反対運動が起き、長期間に渡る裁判が行われました。これは、その近くの廃棄物広域処分場へ多摩地域26市1町で燃やされた焼却灰や処理された不燃ごみを埋立てていた22haが容量限界になるので、新たに第2処分場を作るというもの。→こちら参照。
 非常に自然豊かな山の森を広大な面積(59.1ha)で木を切り倒して、埋め立て場を作るというわけですが、地面との間に敷いたシート(薄くちゃちなもの)に穴が空き、上にどんどん捨てられて来る燃焼後のゴミからダイオキシンや重金属類等、毒性の成分が流れ出しているというもの。ここの地下水は立川や国分寺の飲み水になっているわけだから、徐々に健康を害する、奇形児が生まれると警鐘を鳴らして抵抗したのです。団体は弁護士を数人雇ったり、都が出したり隠したりするデータを別の科学者で検証して信憑性を疑ったり。ちょうど原発の汚染水問題の小型版のような感じです。
 私は主要メンバーではありませんでしたが、寄付したり山の中で行われたコンサートでPAをやったりしました。母校の武蔵野美術大学の教授もインスタレーション「緑の森の一角獣座」を作って破壊しないようにという活動をしたり、田島征三さんが絵本を何冊も発行してうったえたりしましたが、結局強制失効で都に押し通されました。

    こちら参照
ちなみにこの処分場ではエコセメントというものにリサイクルして各地で建設用資材として活用されています。
これは、運び込まれる焼却灰からでる焼却残渣(ざんさ)や溶融飛灰を使って作るという。1日平均、なんと約430トンも生産していると表示されています。東京駅や東京スカイツリーにも使われたようだ。
これがまた安全なのかという問題がある。

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続きは週末にアップロードいたします。下書きは出来ているのですが数字など間違えないよう確認もありますので、もう少々お待ちください。


↓前回書いた内容です。


シューベルトの「野ばら」はリートの代表、アスリートの代表は・・
       2018年2月19日 記
★前回、年賀状用に毎年作曲する件でシューベルトの「野ばら」(Heidenröslein)の影響があるということを書きましたのでその続き。
シューベルトについてクラシックにあまり興味が無い方の為に、一応一般的な解説を付けておきます。(自分ももともとはロックやジャズ方面からきたものでだいぶ後から学んでことですし、まだ勉強中ですが)
フランツ・ぺーター・シューベルトは1800年代前半、ロマン派初期に歌曲をたくさん書いたことで有名なオーストリア、ウィーン生まれの作曲家です。交響曲 も作曲しました。通称「ザ・グレート」「悲劇的」が有名ですが未完成のもの、楽譜紛失も多い。ピアノ曲では「楽興の時」が有名。オペラも作曲しましたがあ まり演奏されません。室内楽は弦楽がありますが、やはり歌曲が中心の人です。ショパンがピアノ曲に集中したのと似ていますね。
とにかく作品は総数1000曲以上!と言われています。
 その中でも「野ばら」はシューベルトの代表曲でもあり、リートの代表曲でもあるのです。
私の環境には無かったけれど、学校等のチャイムや、駅の合図でも使われるようです。

先日降った雪の時、家の近くの公園の写真です。
↑先日降った雪の時、家の近くでトレーニングや作曲をする公園の写真です。


「リート」というのはピアノ伴奏で歌う芸術的歌曲です。民衆の歌謡よりは高尚で技術を要し、詩も文学的な深い表現のもの。
「野ばら」はすでに文豪だったゲーテの詩につけたもので、私はあとでこの詩の意味を知り、いつ読んでも胸が締め付けられるような思いがします。詩としても名作として知られる作品。これを明るい曲調で書いてしまうなんて。ペーソスのコンセプトもあるのですね。
この同じ詩にウェルナー(ヴェルナー)、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスが旋律をつけたものがあります。

他にリートの名曲としては「魔王 (Der Erlkönig)が有名。
私は習わなかったけれど、よく中学の音楽の授業で聴かされて恐くなっちゃうらしい。これは父親が風の吹く夜、自分のこどもを抱えて馬で走っているシーンで短編恐怖映画のよう。こどもには悪魔が見えてささやきが聞こえ、魂を奪われると恐れ父親に訴えるが、父親は錯覚だよととりあわない、さらに悪魔のささやき、そしてやっと宿についたが・・・。という話。
 ピアノ伴奏だけで、緊迫感と幻想世界を作り出すのはさすがで、映画のクライマックス部分から見始めたかのよう。低音の3連は弾くのを想像すると指がつりそう。遠隔調の和音が移り変わり、ポップス系や汎用系の16小節単位で繰り返すのとはわけが違う。まさに「ロマン派」。
3者のセリフを織り交ぜて構成しながら、父親には魔王の声が聞こえない孤独感とサスペンス感を盛り上げる手腕がすごい。
しかしシューベルトはこの楽譜を巨匠ゲーテのもとに送ったがなかなか返答がもらえず、かなり経ってから凡庸という評価が帰って来てショックを受けたようだ。時代はまだ彼を認知するだけの耳になっていなかったのでしょうか。
しかしゲーテは作曲者死後にこの曲の演奏を聴き「全体のイメージが絵のようにはっきりと浮かんでくる」と高く評価したといいます・・。生前言ってよ。
いつの時代もこういう悲劇は起こる。サティ、ゴッホ、モディリアーニ、アンリ・ルソー、フィリップ・K・ディック・・でもシューベルトのまわりには彼を評価する友人達の集まりがあって、シューベルティアーデという仲間内の歌の会が催され、泊まるところ、食べ物、手伝い等支えてくれていた。私の想像では、ゲーテはまだ無名だったシューベルトの曲を聴きもしなかったか、使用人か弟子がきちんと彼の手元に届けなかったのではないかと思う。

「鱒(ます、Die Forelle)
これはゆったりとした曲調でややユーモラスで、テレビのちょっとしたコーナー転換なんかでよく使われます。弦楽四重奏に編曲された版もあります。主人公は川辺で鱒のみごとな泳ぎを見て感心していたが、釣り人が老かいな技でとらえてしまう。これは若い女の人に警告するという意味なんですね。

「糸を紡ぐグレートヒェン(Gretchen am Spinnrade)
これも素晴らしい。幻想的で、テクニカルで早いパッセージの伴奏ラインはくるくる回るスピンドルを感じさせ、これに優雅でものうげな旋律が乗る。グレートヒェンとはゲーテの有名な戯曲「ファウスト」に登場する数奇な運命に翻弄される悲劇のヒロイン。歌曲ですが、私は今世界中で演奏中のユジャ・ワンさんのピアノ独奏版が大好きです。素敵すぎる!続けて「魔王」を弾いてる映像もあるけど、指の動きが速すぎて分身の術みたいになってる。ハチ鳥の羽状態。「海の上のピアニスト」の対決シーンみたい。ゲームの高橋名人も真っ青(笑)。それでも背筋はぶれず肘から手首まではほとんど上下動せず、手首から斜め下に向けた指先までが柔らかに鍵盤を踊るという私の考える最適のフォームを体現しているのです。ギターでこう弾きたい。

★ちなみに「アリア」といった場合は、劇場で衣装を着てオーケストラを伴う長時間の物語オペラの中で、旋律がはっきりしていて印象に残る曲をさします。(実は宗教曲の中にもあります)
リートがピアノ伴奏だけか小編成のものがほとんどなのに対し、アリアはオーケストラをともなって劇的な展開を伴います。
 かなり前ラジオで劇場で記録された貴重な古い録音(たぶんテープではなく鉄線に記録)を聞きましたが、あまりにみごとなアリアだったため観客の拍手やかけ声が止まらず、まだ劇中なのにアンコールで歌ったのがすごかったです。それだけオペラが身近で、民衆の文化だったのですね。天井桟敷の人々!
 有名な曲としては、フィギュアスケートでもよく使われるプッチーニの「トゥーランドット」からの“誰も寝てはならぬ”。(まあ、これって残酷な女王が、自分に出された謎が解けるまで部下たちに寝ないで考えろと命令してるんだから身勝手なもの)
同じくプッチーニ「蝶々夫人」からの“ある晴れた日に”。
アメリカ海軍士官と結婚した日本女性の悲しい物語。舞台はなんと長崎。結末が悲しすぎるよォ〜・・。

モーツァルト「魔笛(Die Zauberflöte)から、素早い高音が特徴の、夜の女王のアリア“復讐の炎は地獄のように我が心に燃え”。コロラトゥーラという高音の素早い技術を要します。時々サスペンスものに使われる。同じ歌劇から「パパゲーナとパパゲーノのアリア」などユーモラスなものもあります。

など多数。あ、聴いたことある、というものが多いと思います。
一方、物語進行のためのセリフ的なもので旋律がそれほどキャッチーでないものは「レチタティーヴォ」といいます。また、「アリア」は、オペラの舞台ではなくコンサートとして抜き出して演奏、歌うこともあります。あるいはスタジオやホールで録音してレコード作品にしたものもあります。圧倒的名手マリア・カラスのアリア集は有名。情熱と、正確なコントロールと、低音から高音まで滑らかなトーン、オケとの有機的な融合、ほとんど宇宙空間。神話の世界から響いて来るよう。

「コラール」という場合はキリスト教の宗教歌。
宗教改革でプロテスタントの源流になったマルティン・ルターが、信者がドイツ語で歌えるようにと作り始めたもの。それまでラテン語で専門の合唱隊が歌っていたものに対し、教会に来た信者が歌いやすいような単旋律を重視していたのですね。
 この旋律にヨハン・ワルターやゼバスティアン・バッハが聖歌隊の歌う別パートを作って4パートの合唱等になって行きました。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」が有名で卒業式や結婚式等で器楽演奏されますが、日本人の多くは内容を知らない。実はカンタータ第147番「心と口と行いと生きざまもて」の中の、イエスへの絶対的な愛を歌ったもの。卒業とは一切関係ありまへん。(別の機会に書きます)

「ア・カペラ」も宗教歌。
よく伴奏無しの歌だけの合唱ポップスと思い込んでいる人が多いが、コラールからさかのぼり、15世紀から16世紀のルネサンス期に、作曲家が複雑で豪華な曲調で競っていたことに対し、パレストリーナ等が簡素な旋律で歌詞を聞き取りやすく作ったもの。
 日本ではゴロが赤、ペラと似てるのでアカ・ペラと勘違いしている人が多いが、これはドンキー・ホーテと思い込んだり、ジャンヌ・ダルクで勘違するのと同じ。a cappellaのカペッラは教会や聖堂のこと。だから「聖堂にて」という意味だし、必ずしも無伴奏とは限らない。
その後、正教会では器楽伴奏をつけるのを禁じていたので無伴奏のものが多く作られて歌われた。
 一方黒人霊歌では埋葬時などに無伴奏で行われたり、教会でのゴスペルソングが無伴奏のものがあり、これは綿畑等での労働歌が原型にあるようです。奴隷として強制的につれてこられて、もともとの宗教は禁じられて、新しい宗教と音階システムを強要されたが、なじまないということや、貧しくて鍵盤楽器を備えられなかった、という面も関係しているでしょう。
 これらが大衆化して「Doo-wop」に転化された。同時期に発展していたジャズのハーモニーを取り入れたものが商業音楽として広まった事でポップミュージック、ソウルミュージックに大きな影響を与えました。山下達郎さんがこの分野の筋金入りのコレクターなのが有名で、毎週ラジオで紹介されてます。
白人にもクリスマスに町中をまわるキャロルの習慣があったから、Doo-wopに影響を受けて無伴奏で流行歌を歌う4人組コーラスなどが出て来るわけです。商業音楽の実権を握っているのは白人ですから。高度なジャズハーモニーを取り入れたグループ、フォー・フレッシュメン等が席巻します。これらの形式がア・カペラ的ということで商業音楽界で流用したのがそのままになったようです。
 その後Rockapellaや現代的なThe Singers Unlimited などがポップス界で話題になり、やがて黒人のTake 6という決定版が出現、スティーヴィー・ワンダー的なフェイクや半音階的和声、コンテンポラリーなアレンジ、超絶技法を展開しました。さらにボビー・マクファーレンが器楽的唱法や音響法、一人アルペジオ、現代美術的視点を取り込んで、多重録音も駆使しました。それらを吸収した若き天才Jacob Collierの登場になるというわけで、ネット動画の効果によって世界に波及しているのですね。
 この進化ぶりを聴くといかに日本のレベルがお粗末かが浮き彫りになります。まあ、一回マイクでズクツク言うのはやめにして、ハーモニーの仕組みからやり直した方がいいですね。(ただしタイムファイブさんだけは別格。楽器も出来るし。早すぎたのかも。)
 余談ですがドン・キホーテはセルバンテスの小説に出て来るマンチャ村の男の話で、ドンとは爵位のある人や医者、教員など家柄がよくて尊敬される人につけるもの。だから我輩はマンチャのキホーテ様だぞ、という感じ。donkeyだとロバ、そこから愚か者、のろまと揶揄する意味だから逆になっちゃう。鈍器だと刑事物になっちゃうぞ。
ジャンヌ・ダルクという聖女はアーク村のジャンヌ( d'Arc )→ジャンヌ・ドゥ・アークを早く言ったわけでダルクという名前ではありまへん。英語ではジャンヌ・オブ・アークでほとんどジャノボークみたいになります。リュック・ベッソン監督、ミラ・ジョボヴィッチ主演の映画ではっきり聞き取れます。
 あ、レオナルド・ダ・ヴィンチをかっこつけてダビンチが〜とか言うのも赤っぱじで、Leonardo di ser Piero da Vinciつまりヴィンチ村のピエロさんの息子のレオナルドという意味。ダ・ヴィンチだけ言ったとしても、だからヴィンチ村の誰?ってことに。こういうの多いので、東京オリンピックで恥かくナレーターやスタッフがいないか心配・・。
 少なくともサッカー等で「フィジカルが強い」「メンタルが弱い」とか繰り返すのも浅はかで恥ずかしい間違いのでやめてほしい。形容詞だから「肉体的強い」となっちゃう。全国の中学校の英語の授業で教えるべきです、これは間違いですと。フィジカル○○が強いならわかるけど。physical abilityに優れているとかphysical strengthが足りないとか。○○が思いつかないんでしょうね。「メンタルトレーニングが不足」「メンタリティに弱点がある」ならわかるけど。かといって不用意にphysicsにすると物理学になっちゃうしphysicでとめると薬になっちゃう。体格について言いたいならphysiqueと言えばいいんですがフランス語からなので言いにくいし、ただ体格と言えば良い。ひとつに海外選手に比べ体の頑強さの差を感じていると思います。ならばbody rigidity(車で使う剛性)がいいと思うけど日本人には言いにくい。つまり外来のスポーツだからハイカラに言いたいが語学を勉強するのはめんどくさいし、カッコつけてると批判されたくないという中途半端さ。
 そもそも肉体的何なのか○○のところが日本語でもつかめていない、このぼんやり感が実力にも投影されているのでしょう。背の高さなのか、耐久力なのか、跳躍力なのか、加速力なのか、体幹の強靭さなのか、反射神経なのか、胸板の厚さなのか、体重バランスのコントロールなのか、動体視力なのか、しっかり言い切らないと。ボクシングの場合ははっきりリーチが長いとか、スタミナ面で勝てるとか、打たれ強いとか具体的に認識しているから世界に通用しているのですね。野球もそうですが中継や解説が適切だと見る人の目も肥える。すると若い競技者の意識も高くなる。現役選手も自分の試合や対戦相手の試合のビデオを見るから、視点を学べる、トレーナーも参考になる。で、これらは音楽にも全くあてはまるんですよ。日本には本格的な音楽批評がないから。
 あ、おまけとしてポルトガルやブラジルのサッカー選手をロナウドというのは間違い。Rが始めに来ているからホナウドです。インタビューやファン達の声、中継を聴けば確認出来ます。私がブラジルを回っていた時に、たくさんの人たちに肖像デッサンを描きましたが、もみあげを長くしてリーゼントにした人が、似てるだろ?「ホッケンホー、ホッケンホー」というので何の鳴き声のことかなと思ったらRock and Rollのことでした。エルビスそっくりさんというわけです(笑)。同様にホナウジーニョ、ヒバウド、ホベルト、ヒカルド、ホビーニョ、ホマーリョです。ヒオディジャネイロ、分かりますね?サッカー雑誌記者、解説者、間違いをなおしましょう。

英語読みするならロナルドと言わなきゃ。かつての大統領みたいに。スペイン人が日本のことをハポンと言うのはいいですがヒッポンと言われたらどうですか?
今回のオリンピック中継、以前より良くなって来ているけれど、ルールの解説等まだまだ改善したいですね。もっと多重放送やデータボタンを活かしてほしいです。

前大会の時も書きましたがカーリングで投石したあとの選手の顔をいつまでも超どアップで撮るのはやめにしたほうがいいですね。早く石がどうなったかを上から映すべき。それもごしごしスィープをアップにするんじゃなくて、サークルとの関係で見える構図で映さないと意味が無い。サッカーで言えばフリーキックを蹴った選手のどアップを延々と見せられるのと同じ、早くボールがどうなったか見せてよってわけです。

フィギュアスケートも、音声切り替えで不要な解説無しに出来るようにしてほしい。どの選手もやっている技なのに脅かすような早口で「フライングシットスピン!!」とか聞きたくないです。音楽と現場の音だけで見たい。その美しさが分かるし、振り付けがどういう意図で行われたか、選手が音楽にどう乗せているか心境が伝わって来るはず。むしろ主音声を解説無し、第2音声で解説付きにしてもいいくらいです。日本人の、芸術性の理解力をスポイルしないで欲しい。

★というわけでアスリートではなく「リート」の代表曲「野ばら」ですが、無伴奏でも印象に残るハーモニー感がすごいなと思うのです。
 軽くアナリーゼしてみますと、まず出だしに同音4音Mi・Mi・Mi・Mi(=Terz)を置くことでリズムを定着させると同時に長調であることを提示してから、この音を挟むように上がって下がるライン。(So→Fa・Fa→Mi・Re〜)ハーモニー面で見るとドミナントコードのコードトーン(SolとFaとRe)が経過音でつながっている状態(So-Fa-Mi-Re)。それぞれに倚音をつけて(Sol→Fa・Fa→Mi)Reに着地する。リズム面で見ると2音単位になっています。
提示されたReはドミナントコードのコードトーンであると同時に上主音(Super Tonic)で、最近のお手軽な理論本ではただ第2音というわけですが、すぐ下の主音に下がって安定したいという性質を持っているのです。そしてこれを受ける句が来ることを予想させます。
 受ける句は下がらず上昇して行き、上の主音に解決して一段落になる(Re→Re・Mi→Fa・Sol〜↑Do)。
この時に冒頭で置いた4つの音が生きて来る。ここがRe・Re・Re・ReではなくRe・Re・Mi・Faと2つ続いた後に上がって行くので次に来る音に期待がかかるわけです。
 次に来たSolはいったん伸びてジャンプ台のようになって上の主音に跳躍します。
このSolは第5音で支配音(Dominant Note)であると同時に主和音のコードトーン(Quinte)でもあります。どっちのつもりかは伴奏の和音が鳴れば明白ですが、4度進行で跳んで主音に帰るという動きをすると(Sol↑Do)戻った、安定したことを示します。ベースラインでよくこの動きが使われますが、思い切ってメロディーでこれを使っているのですね。しかもその前に上がって来てますから。
ちょうどスノーボードの競技ハーフパイプみたいに斜面を滑り降りてボトムから勢いよく駆け上ってジャンプするのに似ています。
 和声としてはRe・Re・Mi・Fa・So〜lFa→Miと下がって解決するのもありですが、躍動感が不足します。また、この次に冒頭と同じMiから始めたいのでMi続きになってしまう。それで上の主音に行くことで一段落感を出しているのです。
 ここまでシンプルながら、わずかな部分でリズムとハーモニーを提示して品があって覚えやすい、詩も野原の情景を描き、場面設定が完成する、という達人のなせる技になっています。1音1音に意思があるのですね。昨今の凡庸なポップスだとRe・Re・Re・Reをやってしまうでしょう。ぜんぜんぜんぜん、みたいに。
 一段落の後、次に冒頭の同音4音(Mi)が来るが、いったん上がって下がる時のFa音がもうさっきと違って半音高い(Sol→Fis・Fis→Mi・Re〜)。ここが私が影響受けたポイントです。
ハーモニーセンスの悪い人が聴くと、間違って歌ったと勘違いしそうですが、このファ#、合唱の世界では「フィ」と呼ぶ音で、ドミナントコードに対する導音(Leading Note)です。もしこれがハ長調(C dur, C Major)でスタートしたとするなら第5音Solの世界すなわちト長調(G dur, G major)に転調したくなるわけです。
「導音」とは通常、半音上の主音に磁石が吸い寄せられるように解決する性質を持っているのです。
イタリア語ではSi→Doのところ。(トニックソルファではTi→DoとかFi→So。なぜシと言わずティと言うか・・は、短調ではGis→A=So#→Laを短いシラブルでSi→Laと歌うためにSiを使いたいから。音階7番目の音はもともとなかったので、ある程度自由に設定出来るのですが、イタリア語で作られたSiをもとにするとSi↑Do、第3音から第4音へもMi↑Faとどちらも母音が i なので、半音上に行く時に– i で統一したいということに。それでFaもFiになるのです。ところが短調のエオリアでは7番目のSoと主音である8番目Laが全音で離れており終始感を出すには半音上げる必要があった。今で言う和声的短音階( Harmonic Minor scale )、または旋律的短音階の上行( Melodic Minor scale- Ascending )ですね。そこでSoをS-iにしたいが、もとのSiと重複してしまう。そこで長調のほうはTi、短調でSiにするというように決まったんですね。以前も書いていますしここでは詳細は割愛します。(ミュージカル映画サウンド・オブ・ミュージックのドレミの歌を聴きましょう、TiはジャムとパンとTeaで覚えましょうというのが元の歌詞)
で、このフィを成就させるのをドッペル・ドミナンテ(Doppeldominante=Double dominant)と言います。ドミナントに進むドミナントだからです。
 この曲ではFisを下がるラインで組み込んでいるところが大きなポイントです。
こどもの頃聴いたときは、ただ妙な音、エキゾチックと感じましたし、ある程度成長してからはSFのパラレルワールドにスリップする感覚をもち(結果的にこれは正しかった)、またジャズを研究し始めた頃はリディアン・モードになったのか?と思ったものです。
 また、はじめにReに下がったときはすぐ下のDoに行かず上のDoに行ったし、今は変化したFiが来てもすぐ上のSolに行かず下がって来る、というところに単純そうで実はあまのじゃくなアプローチなのですね。
 さてReに着地しても、すでに上主音(Super Tonic)ではなく、属調の音階に移行しているので第5音「Sol」の役割に変化しているのです。
Solは先ほどのように4度上がって主音に行きたがります。(Sol↑Do)
そして行きます。で続く音はDo・Do・Re〜Do、Ti-Do-Re-Mi↓Doと一段落になる。(元の調のまま言うとSo・So・La〜So、Fi→So→La→Ti↓Soにあたる)
これはドッペル・ドミナンテを成就させて、属調での上主音(Super Tonic)に上がって戻る「刺繍音」の動きDo-Re–Doと、導音から戻るTi→Doをつなげ、Do-Re-Do-Ti-Doと新しく設定された主音の上下で刺繍していることになるのです。(モリコーネのガブリエルのオーボエも同じ動き)ところが、ここで止まらずTi→Do→Re→Miと上がって行くところが非凡なのですね。そのあとDoにすとんと解決するのです。ジャズで言えばⅤ7の13th音→主音なので今はそれほど特別なものではありませんが、まだ古典主義の残っている時代のことです。
私はこのMi→Doはふたつの意味を持っていると思います。もとの調で言うとSol→La→Tiと上がって来た音にあたるので、導音として元のDoに引き戻されそうになるので、違うもんね〜と断ち切って、今向かおうとしている属調の主音に折り返しているのだと思います。
もうひとつは伴奏をよく見ると低音が属調の主音に行っておらず、属調の平行短調の主音La(ⅵ)に行っています。ハ長調(C dur)スタートで言うなら属調ト長調(G dur)の平行短調でホ短調(e Moll)です。コードで言えばEmになります。Cから数えたⅢm(トーニカゲーゲンクランク,Tonikagegenklang)ではなくGから見たⅥmなのです(ドミナントパラレーレDominantparallele)。
 日本の理論本には書いてありませんが、こういうのを「対和音」といいます。ポップスやジャズと違う点でクラシックの格調高い和声のとらえかたです。というか歴史的には先にこれがあったのですが、どのコードにも7thをつけるようになったり、7つの音階和音を並列的に考えファンクションを薄める傾向等のせいか、英語系大衆音楽には受け継がれなかったのでしょう。
とにかくこれによってMi→Doはマイナーコードの5th→3rd(kleine Terz) すなわちDo→Laというつながりに読み替えられ、一瞬だけ悲しげな趣が出ます。ここは歌詞が2番で野バラが自分を折ろうとしている少年に私を忘れないように刺しますよというところで、denkst an michの部分、3番では少年には痛みも効かずのdoch kein Weh und Achの部分にあたるのでほんのわずかだけ翳りが隠されているのです。
こういう工夫で伴奏無しでも転調を感じさせる効果が出ているだけでなく、伴奏がつくことで隠された別の意味が現れるというところに影響を受けているのです。

このあとはDo–Mi–Re–Do→Ti–La–Si–La→Fa〜Ti→Doと一段落になります。
これは属調になったことを強調しているのですね。ここの骨格は属調の主音Do、下属和音コードトーン3rd(Terz)のLa、ドミナントのトライトーン、属調の主音への解決になってます。
それでDo–Mi–Re–DoはコードトーンTerzに行って経過して戻る、私が「見返り型音型」と呼んでいるもの。続くLaに対しては上下からの倚音で刺繍するようになっていますが、上からはTi↓Laの全音(Scale width)で、下からの倚音はSol↑LaではなくSi(So#)↑Laとなっているのが注意点です。これはLaに対して一時的に導音になって半音で引き寄せられている。だからひらひらと滑らかな流れを印象づけるのですね。
そして、Laは先ほど書いた属調の平行短調の主音でもあります(Dominantparallele)。さっきは伴奏の低音で鳴った根音が今度は旋律の方で現れているのですね。ところが逆に今度は低音がⅣを鳴らしているためマイナーコードではなく属調での下属和音として響くのです。
ここで、もう一点クラシックの和音でよく使われる和音がメジャーコードでの6thです。三和音で単純すぎると感じるとき、ジャズ系ではやたら△7、ポップス系ではadd9にしがちですが、付加6和音にするのですね。特に下属和音(Sub Dominant)の時。少し曖昧な性質になります。するとFa,La,Do,Reなのですが転回するとRe,Fa,La,DoになりⅡm7と同じになります。これがⅡmのファンクションがサブドミナントとするいわれなんですね。そしてこれは下属調では平行短調Ⅵmにあたります(Subdominantparallele)。
市販の「なんちゃって理論書」では書いてありません。
しかも、ここでは伴奏が6thを入れて5thは省いて三和音なので、もろにⅡmの第1転回(erste Umkehrung=Sextaakord)になっています。その結果Si↑Laはマイナーコードの5th(Quinte)に半音倚音(Chromatic Lower Neighbor tone)で接近しているわけです。つまり旋律はⅵに解決したかのようでバスがⅣ、だが付加6でⅡmの転回型ということでぼかしてあるのです。
これによってLaに導かれながらもそれほど悲しげではなくひらひらのスラローム感だけを演出し、続くトライトーンへのジャンプ台となっているのです。
さらに低音はその前の属和音(属調での主和音)も第1転回でⅢが来ているため、Mi→Faと半音で吸い寄せられているのです。
このように単純そうであまのじゃくな工夫があって微妙な色彩を含んでいるのが、200年も世界中で歌い継がれる秘密なのですね。
 続くFa〜Ti→Doでやっとストレートな属調主音へ解決する一段落感が印象を残します。Fa,Tiはトライトーン(トリトヌス)という関係で1オクターヴを半分に割ったようなインターバル。FaからTiへは増4度(übermäßige Quarte)TiからFaへは減5度(verminderte Quinte)ですが、どちらも全音に置き換えると3つ分で等距離関係にあります。
 教会音楽を中心に発達して来た西洋音楽において、このインターバルは悪魔の音程(ディアボロ)として延ばすことを禁じられました。もともと西洋の音階は古代ギリシャから受け継がれたもので、一本の弦を半分、その半分、または1/3、というような整数比で得られる音程から構築されて行きました。この整数比で得られる純粋な響きを神に見立て、これに不協和を成すものを悪魔と見立てたわけです。詳しくはここでは述べませんが、ピュタゴラス音階や純正律、平均律についてはたくさん研究があって本もたくさん出ています。
それでFaは半音下のMiに引き寄せられ(Plagal Cadence、アーメン終始)Tiは先ほど書いたように半音上の主音Doに導かれます。この2つが成就するとDo&Miが完成して安定します。これがドミナントモーション=ケーデンス(der Kadenz)です。そのためこのトライトーンは悪魔であってもあえて使うわけです。神の力で正されるような感じ。古典でドミナントコードだけはFaの7thを入れた4和音(Septakkord)にしていたのはこの解決を使うためです。だから昨今の理論書でただⅤがⅠにと塊でしか書いていないのは片手落ちで、日本人がハーモニーを理解出来ない大きな要因になっているのです。
 それで野バラではここのFa〜Ti→Doによってはじめてストレートな音使いで伴奏もRootを弾いているという状態になります。さて、このあとどうやって元の調に戻るのでしょう。それはまたの機会に!

これも先日の雪の時に家のすぐ近くで撮った写真です。もう溶けましたが冬期オリンピックの話題にあわせて。。
↑これも先日の雪の時に家のすぐ近くで撮った写真です。もう溶けましたが冬期オリンピックの話題にあいますので。



★さてさて、冬のオリンピック盛り上がってますね!
前回ソチからもう4年。テレビで見る側は「ア、もう?」っていう印象の方が多いと思います。テレビ映像がデジタルになって、雪景色と鮮やかなユニフォーム、華麗なジャンプや回転の技、が新鮮に映ったからでしょう。
私はこの雪のスポーツで応援する女性選手が2人居ます。
★一人はスノーボードアルペンの竹内智香選手!ソチでは銀メダル、その前の世界選手権では優勝している。尊敬しています。
このところ海外の転戦先で体調を崩しているようですが、きっと復活して活躍してくれると祈っています。
まだスノーボードが日本では認知度も低かった頃から活躍して、今回五輪4回めのベテラン。
日本での練習環境や評価基準が整っていなかったことを不満に思い、海外強豪チームの練習に合流しようと奔走、当然その国では練習メニューや技、器具の情報などが漏れますから断られましたが、スイスチームにだけは熱意が認められて入れました。
英語は話せたそうですが、より密接に、仲間として認めてもらい評価してもらう為にドイツ語を勉強して習得したということです。私は音楽のために勉強しているわけですが、本当に文法が難しく、聞き取るのも大変。それを現地で覚えてしまうなんてすごい。
また、日本国内でもこの種目を普及する為に奔走。たしかに、スキーがヨーロッパで雪国の生活必需品として発達して歴史も種目も多いのに対し、スノーボードはサーフィン文化から陸上の練習用としてスケートボード、そして雪上でと移行したわけで、スキーより低い存在として認識されることが多い。スキー優先でライセンスをとらないと滑らせてもらえないゲレンデとか多かったし、未だに全面滑走禁止のところもあるぐらいだから。
 私はスキーはトラウマがあるのでやりませんが、かなり前にジャズ研OB会で企画があってスキー宿で演奏こみの合宿があり、スノーボードを体験程度やってみました。私はこどもの頃、体操部だったのもあり、スケートボード上で逆立ちして坂を降りたり、自分はジャンプして棒を飛び越えて再び走っているボードの上に着地するとか、情報が無く映像も見たこと無いのにドッグウォークにスピン等、それなりにバランス感覚はありました。でもスノボは雪上のでこぼこがダイレクトに足に来るし、常に斜面で動き出してしまうのですごく難しかったです。ステッキを使わないからむしろスキーより技術を要するし、危険度も高いと思いました。(これで高速でスラロームとかジャンプとか信じられん!)
 竹内選手は北海道出身ながら広島でもイベントを企画したりガス会社とエンドースしたり。さらにスイスの仲間とスノーボードのブランドを立ち上げて、ご自分でデザインした製品も出しています。きっと体格の違う日本人にあうシェイプ等工夫があるのでしょうね。
一流アスリートとしてだけでなく、社会人としても、ビジネスマンとしても高い能力、コミュニケーション術も持っていてあこがれます。もうひとつ、スキーに対するスノーボード、強豪国に対して環境の不十分さ、男性選手に対して女性選手という、マイノリティ側からの反逆的立場という面や、スイスで信頼を得ながらもやはり日本チームで出場しなければという決断や、普及の為の活動や広報というアカデミック側の活動もするという、相反するかのような立場の活動を同時にやりとげているところがすごいなと思うのです。下克上をしようとしているサムライがお殿様の為にも働かなければいけない的な、またはヤマアラシのジレンマ的な。自分も教員の立場だった時に、革新的なこととアカデミックなこととか、こういうことによく出くわしましたし、今もクラシックとジャズとか、芸術的音楽と商業的音楽、緻密に楽譜でコントロールするアレンジと即興性、など相反する要素のバランスをとらなければいけないことが多いので、葛藤が想像出来るのです。
というわけで毎回正座して観戦してますが、天候で試合日程が延期になって、テレビ放映がまだかまだかと過ごしていて、アルペンと書いてあるので見てみるとスキーだけだったり、スノーボードと書いてあってもクロスだったり、情報が分かりにくいけれど、たぶん26日になったのだと思います。宿敵で親友のクンマーを破れるか?みなさん応援しましょう!

★もう一人はアイスホッケーのゴールキーパー、藤本那菜選手です。
日本ではマイナーなスポーツで、かつ防具やヘルメットでほとんどお顔が見えないため、あまり知名度がありませんが、素晴らしい選手。氷上の格闘技と呼ばれる激しいスポーツで大柄な海外選手が怒涛に攻撃して来る中、小柄なのに瞬発力と勘でゴールを守ります。自分は以前柔道をやっていて、本当に「柔よく剛を制する」は可能なのか?といつも自問自答していたので、すごいな〜と思います。この人も日本の環境だけではダメと、アメリカでスタートしたプロリーグチームNWHL(National Women's Hockey League) のトライアウトに応募して合格、ニューヨークのチームにはいって活躍しました。チームの選手達と共同生活したり、男性チームの練習に混ぜてもらったり切磋琢磨して、世界選手権でセーブ率の高さからベストGK賞もとっている実力です。
オールスターゲームにも抜擢され勝利しています。体が小さければゴールとの隙間が広くなって不利なのに、判断力と動体視力が素晴らしいのでしょう。アイスホッケーではgoaltenderと言うみたいです。
 今回は予選でスェーデン戦で1:2で負けてしまい、さらに強豪のスイス戦は1:3で破れてしまいました。
こちらが数的有利の「パワープレイ」の時間帯に得点出来ず、相手のパワープレイ(自分たちはキルプレー)では入れられてしまいました。スイスのゴールテンダーは前回大会MVPの大きなフローレンス・シェリング選手が守っており、38本シュート中1本しか決められませんでした。日本は前の試合の反則からFW浮田選手が欠場して決定力にかけていたが、スイスはFWザラ・ベンツが2本決めています。選手は試合続行中に次々交代して行くのですが、そのタイミングでスキが生じます。審判がパックを落として取り合う「フェイスオフ」でもとれる率が低いですね。体格で劣る場合、かつてのサッカー女子みたいに、相手を上回る何かが必要だと思うのですが・・。
 残念ながら決勝ラウンドには進出出来ませんでしたが、韓国・北朝鮮合同チーム戦では4:1で勝ちました。藤本選手は、格下相手だからか休ませる為か出場せず、でもチームは勝ちました。まだ順位決定戦があるのですが日程や経過が一切報道されません。残念。衛星放送は見れないし、テレビでやらなければ、あとでネット動画で探すしかないのかな。

お2人とも成し遂げようとしている分野でまわりに充分な環境が整っていないため、本場にアプローチして、語学も習得して技量を高めて切り開いて行く、それを日本に還元するというところが共通しています。

私のチャレンジしていることにもつながるので、共感出来ますし、尊敬しちゃう。自分の場合スポーツではなくジャズとクラシックのはざまをシームレスにするアプローチ、さらに被災地でも演奏出来るよう電気を使わない木管楽器を中心とした合奏で追求、という他にやっている人がほとんど居なくて、かつ専門家を納得させながらも一般の人に広めるということに挑戦していますし、行動力や語学力、精神力など参考にしなければと思います。この人たちのような国際的な活躍やオフィシャル団体の肩書きはありませんが、まあmp3ドットコムで試聴数が世界2位になったり、全国手作りコンテストの演奏で優勝したりはしていますが・・現在はウィーンの音楽家に作品を渡したりメールはしています。まだまだクオリティを高めて、Youtubeなどで世界に反応をあおがなければと思っています。

というわけで、このお二人は強い意思と努力をすればできるんだというお手本なので、励まされるのです。

 Oookey dokey, 大〜きいドキドキ, そういうわけで最後まで読んで頂き「あいがとさげもした」。「リート」「アスリート」も高いレベルのものを勉強して自分を高めたいと思います。まだ寒い日が続きますが・・みなん衆、風邪ば引かんようきばいもんせ!   
       2017年2月19日 記



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Glückliches Neues Jahr! 

    2018年1月14日 記
皆さま今年もよろしくお願いします。
本年の目標は・・もちろん引き続き全身全霊で音楽の結晶化に取り組むことに変わりありませんが、「不屈の精神、鋼の心臓」を座右の銘とします。
雑 事、雑音にダメージを受けず、作品に集中する。自分はいわば一種の楽僧、修行僧のようなものですから、精神の汚濁から身を遠ざけて粛々と音の真理を探求、 純化して成果をまとめることに精進すること。これが音の表現によって社会に還元していくには重要。ライフワークを達成する唯一の道なのでしょう。

さて、暮れから正月まで、非常に忙しくしておりました。どこのおうちもそうですよね。
私の場合ちょっと特殊なのは、お年始のあいさつとして新曲を作り、年賀状に楽譜をプリントして送るというのをやっています。そしてホームページで「あること」をするとその曲を聴けるという仕組みを作っておき、方法を書いておくわけです。
ライブもCDも間隔が開いてしまっているので、今私の音楽はこういう方向になってますというSheet Music Postcard なのです。海外の友人にはメールに添付して送信します。
いただく年賀状にも「次のCDはいつ?」「ライブの時は知らせて」というお声を頂いているので、近況報告として重要なものなのです。
  また、この年賀曲シリーズはCDには収録してませんしライブでもやらないので、私と年賀状をやりとりしている人間だけが聴けるという「エクスクルーシヴ」 チューンなわけで、応援してくださる方への特典という意味もあるのです。いつかは年賀曲集としてCD化するか、アップロードするとは思いますが。
忘れ去られてしまわないように、作品の進化をセルフレポートしているのですね。
未来的には楽譜ではなくQRコードの画像などをプリントして、スマホをかざすと音が出る、となるかもしれませんが、現時点ではアナログです。

 また毎年末「こん詰める」たびに火事場のバカぢからというか「ゾーン」(笑)に入って、新たな表現獲得するのです。(ちなみに昨年のバトミントン奥原選手には非常に強く感銘を受けました。) 過去のお年始曲を聞き直すと確かに次の段階へのステップアップになっているのです。

 今回もこの15㎝×10㎝ という範囲に入る楽譜にまとめるのが一番の難関で、研究中のたくさんのことから、どれを主体にして何を省略するか、挑みました。
主体とした「無伴奏でも感じ取れる遠隔調への新しい転調方法」は昨年の手法を深めるという事で、ここに半音階旋律と跳躍を組み合わせる方法、ハーフディミニッシュ前後の新しい連結、少ない跳躍で和音進行を感じさせる方法、オルゲンプンクト(保続音)でクロマティック進行やエンハーモニック転調、部分無調性、単旋律擬似2声などを少しずつ残し、切ったり、組み替えたり、調を変えたり、と実験を繰り返しました。かつ曲として新鮮さ、楽しげな生命力も出すのをおろそかにしないように。
  いつも短い曲の中で工夫を凝らすということではシューベルトの「Heidenröslein( 野ばら)」が心の中にあります。はじめに提示した主題が2回目にエキゾチックに変化して・・・詳しくは次回書きます。
    毎年12月中旬からこれに向けて徹夜続きでヘトヘトになります。しかも楽譜のスペースは、縁取りに若干の装飾、挨拶の言葉のマージンも空けますから、実際は14㎝×8㎝ぐらいになります。長い曲にしてしまうと縮小して読めないぐらい細かいものになってしまうし、プリンターの解像度を越えてしまいつぶれ気味になってしまう。
和声に興味があるのでピアノの2段譜で記したいところですが、小節数が半分になってしまう。そこでジャズでよく使う「リードシート」式、つまりメロディーを5線譜に書いて、上にコードネームを添えておくという方法を使う場合が多いです。
 ところが私の設定した和音をきちんと記すと、例えばB7♭13#11/A♭E♭aug△9/G、というテンション表記になってしまい、相当ジャズをやった人間でなければ弾けませんし、音楽大学出身者でも無理でしょう。
  興味がもっとポリフォニックなものになると、これだけでは表しきれませんから、音符の棒を逆方向にして2パートを書き込むべきですが、見づらくなるし、果たしてこれを見て弾く人がいるのだろうか、ということになっては無意味です。
ここが悩みの種なのです。海外のグリーティングカードぐらいのサイズなら、まだ自由度があるのですが。そこで和音自体のテンションは少ないが転回形、分数コードを連結する事でシンプルにする方法を編み出しました。
しかし困ったことに、印刷する段階でプリンターが不具合を起こす(かのEpson)。高いインクを買って交換して、テストプリントしてヘッダー調整してまたテストプリントして、やっと刷れんのかというところで「◯色のインクが少なくなりました、交換してください」だって。この繰り返し。今まで2台使ってきましたが同様。しかも黒に2種類あるうちの片方フォトブラックだったり、色ですらないグロスオプティマイザー(透明コーティング、不要なのに!)だったりする。ふざけんな、2度とエプソンは買わない!この作業で今までどれだけ睡眠時間とインク代を失ったか。
 結局以前ギターを教えていた方が買い換えるのでと寄付してくださった、古いCanonのプリンターを使わせて頂いています。ネットで対応の安いインクを入手して。
それでもドライバーソフトが現行OSのものがないので、工夫して、と風前の灯火。本来はレーザープリンターが必要なのでしょう。レッスン時の資料やコンサート時に渡すパート譜も綺麗にプリントできるし滲まず、CDジャケットも教則本も再販が希望されているギターノートも作れるはずです。
  ソフトも以前使っていたイラストレーターが、今のOSでは動きませんが、買い直そうとしてもフォトショやウィーバーなど全部セットのものを買わなきゃいけなくなっていて「法外な値段」。ほんと、あこぎな商売しますね。だから無料ソフトをダウンロードして使うわけですが、代表的なGimpはテキストツールで日本語が使えないときている。
それで他にレイヤーが使えて日本語テキスト入力のできる描画無料ソフトを探し、結局マンガ原稿用のものをダウンロードしてやってみました。
・・・と全てがブレーキベクトルで、私のクリエイティヴな活動を止めにかかってくるわけですが、精神力と睡眠削減で乗り越えるわけです。まあお金があればもう少し楽なんですが。
 事務所に属していませんから、プロモーションとしても、ある音楽家が生きた記録としても、この年賀状新曲は一大イベントで取り組みます。まあ極真空手の寒稽古のようなものです。
  かといってあまり、教条主義的に、完璧主義、強迫観念的になりすぎないように気をつけたほうがいいのかもしれません。(いや、すでになってんじゃないのってわけですが)

 ということでお年始曲作曲、年賀状プリント、音源のアップロード、あて名とコメント書いてから発送、と七転八倒し、1枚のハガキにしか見えないかもしれませんが、膨大なエネルギーが詰められているのです。これがひと段落してやっと私の1年が始まります。

★他には、ドイツの親戚に、ウィーンの音楽家とやりとりしているメールを添削してもらったりして、やはり日本のドイツ語教本の信用しすぎに注意しないといけないなと勉強になりました。

★あと、久しぶりに地元の同級生とセッションしました。

小・中学の同級で、高校時代は一緒にバンドもやったギターの友人ですが、当時私はヴォーカルでした。ゆったりできる広さにギター、アップライトピアノもある羨ましい環境で、今回は私がピアノを弾き、彼がギターを弾きながら歌ったりしました。あくまで遊びですが、こういうドメスティックな環境での小編成でもハーモニーを高めていけば良いアンサンブルになるはずです。日本ではあまり行われないでしょう。カラオケが日本の生音楽を殺したと言ってもいいですね。
各地のピアノ教室の先生がコードの読み方やさまざまな伴奏パターンを教えるだけで状況は激変すると思いますが、やらないですね・・・。題材にすべき日本の歌曲がないというのも原因ですね。アメリカならカントリーやフォスターの歌曲、フォークリバイバル以降のフォーク、カーペンターズやバカラックなどのポップス、1900年代初頭からのミュージカルや映画の曲などがあるし、イギリスならブリティッシュ・トラッド、もちろんビートルズ、ケルト民謡、スキッフル、ダスティ・スプリングフィールドらのヒット曲、フランスならシャンソンやルグランの映画主題曲、イタリアならカンツォーネ、ブラジルならサンバ・カンソン、サンバ、ボサノバ、ロマンチカ、MPBなど。つまり電気楽器やドラムが無くても国民の多くが口ずさめる曲ですね。そうしたものは家庭や酒場、パーティー、学校の放課後等でピアノやアコーディオン、ギターの伴奏で歌われてきた。年代を問わず浸透しています。これが日本にはないのですね。
この問題はまた別の機会に詳しく書きます。

★さて、昨年は私のライフワークでもある音楽と自然について、バランス的に植物の性質と近づけました。学生時代から常に絡めながら活動してきましたが、恒常的に管理しながらというのが難しいのです。現在はハーブが寒さに弱いので家の中に入れて簡易ビニールハウス的にして、夜は不織布をかけています。東京ですが家の中でも0度になりますので。果たして春になって復活してくるか・・?
    このテーマというのは入れ子をひとつ外に行くと「芸術表現と宇宙」ともいえます。弦の振動は空気を震わせ、聴くものの鼓膜を通して耳小骨を揺らし、リンパ液の中の細胞が電気信号として蝸牛神経に伝達され、脳に感情の変化を引き起こします。時には鼓動や血流の変化をもたらし、健康に影響を及ぼすこともあります。これは食べ物が体内に入り、エネルギーになると同時に筋肉細胞や骨、神経細胞の材料となることに似ています。汚染されたものを多く摂取すれば、新陳代謝に寄って汚染された肉体に傾き、汚染された精神を生み出し、悪循環を招くことと似ています。
つまり良い振動を伝えるには私が汚染されていない状態でいる必要があります。シューベルトやバッハ、ショパンなど素晴らしい作曲家の作品が今も心に響くのは、こういうことが関係していると思います。Devotionですね。
 これが私が精神を磨き、筋トレをして、語学の努力、自然へ耳を傾ける理由でもあります。
ただし、時間がかかります。その分、成果があがるまでお金もかかります。
鍛錬、集中、積み重ね、あるのみです。

具体的には、今年は★鍵盤の習得にもっとエネルギーを注ぎ、★ギターは前回書いたような変速ハープチューニングの活用、★クラシック音楽の専門書の勉強(前回書いたような古代脚韻ーメトゥルムーダクテュロス ,アナパイストス,イアンボスなどがどのように旋律に反映されてきたのか、対位法の元になった定旋律はどこからきたのか、近代以降Olivier Messiaenのmodes of limited transpositionを使った和声法、チェレプニンの9音音階,LevyのNegative Harmonyなど) を深めつつ、★木管楽器のジャズ的室内楽の作曲と実現に結実させる。これが目標。

 長いスパンのものなのでそれほど昨年と変わりはしませんが、資料を国立図書館から取り寄せたりネットから翻訳したりするようになってきました。買うとお金がかかりすぎるからです。ただし届くまで時間がかかるのが難点で、持ち帰れない場合も多い。音楽大学の資料室も使えればと思います。ドイツ語で原書を読めるようになるともっと加速できるのですが・・・。
そして発表にはインターネットの活用も促進しようと思います。
  さらに他にも竹の弦楽器の完成、ハーブからの精油抽出、庭の収納の修理、11弦ギターを修理して練習、ロングネック・ギターの再活用、録音システムの効率化、3rdCDの完成、語学の強化(ポルトガル語、イタリア語も)、録画してある各分野の講座の勉強、ヴォイストレーニング、5弦フレットレスベースを再活用してギターとの新しいアンサンブル法、サックスの練習し直し、教則本の完成と販売、ヒグラシ録音の編集とCD化、インターネットラジオ録音物のライブラリー化、不要物のオークション出品など整理、4月には自動車の車検、HDDデータの重複を解消してデフラグし、どの端末からでもアクセスできるようにする、テレビの録画DVDに焼いてHDD容量を空けられるシステム作り、レーザープリンターを導入、オリジナルギターノートを増刷して販売、ゴダンのGR信号でVP-9000を使った表現、などなどやるべきこと、なさねばならぬこと、なんとかせねばならないこと、なせばなること、やれば道が開けること!など沢山あります。
でも1番の優先事項は良い作品を作って、インターネットで発表することです。
「不屈の精神、鋼の心臓」です。
それでは皆皆の者、お互いコツコツ頑張りまっしょー。

Schönen Jahr noch. Bis bald !

              2018年1月14日 記


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↓ 前回の内容です。

★大晦日!    

        2017年12月31日  記

今年もあっという間でしたね。

この間までセミの鳴き声の中タンクトップで汗だくになって竹を加工したり、虫さされ対策でハーブを育てて成分を抽出したりしていたのに。

なんか今年は急激に寒くなった感じ。そして雨も多かったので、あまり青空の下で秋を満喫することが出来なかったように思います。

でも晴れた日はとっても空気がおいしいです。

 

★さて更新がだいぶ久しぶりになりました。

主に通信環境の変化でいろいろエネルギーを使う必要があったのと、もらい事故で車の修理に1ヶ月以上というのがとどこおった原因です。あと各種保険の見直し。

 メインで契約しているDion( 現au One net )がホームページ公開サービスを10月いっぱいで終了、というので、徐々にこのJimdoサービスに移行していたのですが、完全に移りました。

そのためもともとアップロードしていた膨大なコンテンツを自分のMacにダウンロードする必要があったのですが、FTPソフトで作業していた古いMac(G4)が起動しなくなってしまい、さまざまなパスワードがわからなくなってしまいました。そこでau One netに問い合わせて本人証明して郵送で送ってもらったり、これが種類に寄って別便になったり、かなり手間がかかりました。

そのコンテンツをJimdoに移植しようとしたら、今度はJimdoがログイン方式を変えてきた、という感じで手間取りました。

 また、20年ほど使って来たPHS(携帯電話)、運営はウィルコムから現Yahooモバイルになっていたわけですが、ブラウザーを一切使っていないのに請求が極端に高くなる月が時々あって、あまりに信用出来ないので解約しました。問い合わせても誠実さが無く、「Yahooモバイル以外」でiPhoneに変える計画を遂行したのです。驚いたことにこんなに長期継続していたのに、やめると損になるという要素が無かった。まあ、ひどい会社ですね。正式キャリア(通信会社)の劣化版なんですね。みなさんお気をつけあそばせ。

 熟考の結果、出先で調べものやメモが出来て、録音も出来て、デジカメが今手元になく(理由は以前書きました)写真や動画を手早く撮影出来て、自動車運転中に道に迷った時地図として使えたり、渋滞を回避する役にも立ち、レッスン時に伴奏音源を鳴らすことも出来るし、自分の作品を聞かせることも出来るし、PHSサービス自体が削減されていくことになっている風前の灯ということ等かんがみて、さすがにスマートフォンが必要になってくると判断しました。(その他アドレス帳や目覚まし時計代わりにもなっています。電話は5分まで無料。)

音楽作品を世界に発信するためにも必要な機材と判断して、Yモバは解約でキャリアもので契約しました。

 コースや条件などよく調べてからにしないと、2年縛りがありますし、割引は1年目だけだったり、不要なオプションを自動でつけられてしまったり等、セールス勧誘情報が大半で真の情報を得て試算するのは結構難しい。端末本体だけ買って格安SIMというのが対抗馬でしたが、キャリアでは売っていないのでAppleで買うか中古を探すかです。Appleで買うとやはり高いし、中古もかなり探しましたがiPhone6はあるが6S以降が少なく、あまり安くならない。と、以前書いたようなことをネット、実店舗、店員情報と調べて比較し、検討に検討を重ねた結果、iPhone7で安く運営する最善策をひねり出して移行しました。

 同じキャリアでも店舗によって割引サービスが違うので実際に何店舗も回って試算したりしました。特典の商品券分も換算に入れて。そして同時に自宅でのインターネット接続を無線通信方式のものに変えると割引になるのですが、固定電話も無線通信に出来るモジュラーが安く提供されだしたので、思い切って全て切り替えました。これによって今まで払っていたNTT料金は不要になります。つまり自宅でWi-Fi電波でネットも固定電話も出来る状態になり、携帯も含めて番号を変えずに済んで、毎月の割引要素に出来たというわけです。さらに不要になるPHS端末を下取りに出すことで、毎月わずかながら割引になりました。移行にかかる手数料も無料の方法で。これらの総額を24で割って2年分の毎月の平均を出して比較したのです。けっこう時間と手間がかかりました。

★10月にセブンイレブンに車を止めていた時にセブンイレブンの商品搬送トラックがバックして来て追突されました。両者怪我はありませんでしたがバックドアがへこんでバンパーが傷ついてしまいました。昨年末も追突されてなおしたばかりなのに。当然100:0であちらが全部修理費を負担してくれるわけですが、私のダークグリーンの部品がディーラーで生産中止で、中古で探すことに。しかし同じ色のものが出ないので、他の暗めの色のもので探して塗装しなおすと。これに時間がかかりました。

 次に修理工場に出すにあたってラウムを空っぽにして、ある程度掃除するのでひと作業かかる。修理期間は代車になるわけですが、このヴィッツがひどいしろもので、まずCDドライブが無く常に勉強するドイツ語や英語などをかけられないし、研究すべき音楽CDが聴けない。自分の作った曲はCD-Rに焼いて音質等チェックするのですがそれもできない。ラジオも感度が悪く、とぎれとぎれという具合で語学番組やFM番組を聴くことが出来ない。走行系もアクセルペダルを軽くしか踏んでいないのに、時おりエンジンが「ゔお〜〜」と不意に回転数が上がる。そのくせ馬力が全然ない。オートロックではないので乗る時は常に鍵であけ、降りる時は運転席にシンクロしないためそれぞれのドアでポッチを下げていないといけない。こういうイライラって精神を削られる。私のラウムは両側スライドドアなので、出張レッスンのときギター等をすぐ降ろせるが、ヴィッツはいちいち後ろに回って後続車やスペースに気を使って開いて取り出したり載せたりしなければいけない。その他、筆記具等すぐ使うようなものは普段定位置に入れているのが、方法を変えなければいけなかった。(こういう不便さって、相手の負担でレンタカーに変えられると後で知りました。私の保険会社の担当がだいぶ力量不足で、肝心な情報が得られなかった。)

 そして1ヶ月、やっと修理が終わって返還する際、空っぽにして掃除してガソリン満タンにして返すと言う作業が必要。なおったラウムに今度はもとの状態に復元、つまり筆記具や語学CD、記録簿、楽譜類、ティッシュペーパー、地図、雨具やトレーニングウエア類などを使いやすいよう配置しなければいけない。職場との往復に使うだけの人と違って移動事務所でもあるので、手間がかかります。

 また、この事故・修理に関連した連絡を、保険会社、相手の会社、工場と何度も自分で電話しなければいけなかったり、都合の悪い時間にかかって来たりします。とにかく加入している保険会社の担当者が今一でイライラさせられたり。最後に工場への支払いは相手が行うけれど、保険を使わずやるというので示談書が郵送されて来て証明やはんこを押して返送したり・・。こういうことがこまごま積み重なり、いちいち作曲や研究、入力を中断しなければいけない。

 私が行う作曲とは出来合いのフォーマットでイージーに踏襲するのではなく、新しいハーモニーの方法論を開拓したり、音階自体をあらたに設定したりしつつ、同時に西洋音楽1000年の進歩をしかるべき資料で調査し、演奏実技や読譜力、コンピューターのハンドリングの技量も常に切磋琢磨しなければいけないので、「深い領域」に入るには集中できる環境でまとまった時間を確保しなければいけない。画家や彫刻家と同じようなものです。もともと私の過失ではないものなのに、ちょこちょこ中断しなければならなくなる、何時までに電話しなければいけない、というのは、腹立たしいし、芸術活動としても精神衛生としてもダメージを受ける。これは制作活動に没頭したことの無い人には理解出来ないことですね。

 それで年末に保険の更新なので解約して最近のネットで加入する格安のものに変えるか、または人身障害の額を下げたり車内携行品の保障をカットして額を下げるか・・などまた電話したり調べて、変更しました。またこれはこれで慎重に検討しないと、教員時代に入っていた協栄生命保険が、他の保険会社の破綻があいつでいたので大丈夫か大丈夫かと何度も確認したら「大丈夫、傾いて来たら他の保険会社が支えるという会社自体の保険で支え合うシステムになっているから」ということでしたので、退職する時に解約しようとしたら、破綻しました。ウソつき。(現ジブラルタ生命に)。そのため積み立てて戻って来るはずのお金が極端に少なくなった、というのがあったため慎重になるのです。

 ということで更新が滞りましたが、晩夏以降をざっと、近況報告的に↓。

 

★秋にはウィーンから毎年訪れてくださる木管五重奏団の演奏がとても勉強になりました。私はギタリストですが、いざ電気のない状況、被災地等では音量的にほんの少人数にしか聴かせられないという楽器の特性なので、管楽器のアンサンブルを研究しています。管楽器なら完全にアコースティックで表現が出来る。ところがこの編成でジャズやブラジル音楽などやっている人たちは世界にほとんどいません。ドラムとベースを入れずに可能なのか?ジャズの和声をやるには5声は必要なので難しい。サックス5重奏では時々あるようですが。今年の演奏曲ではモーツァルト等クラシック曲以外に「チコチコ」「メイプルリーフ・ラグ」などリズミカルな曲もあり、編曲が参考になりました。

 この人たちと今年も交流を持つことができてクラリネットとファゴットの二重奏曲を作って献呈したり、ドイツ語でメールをしたりしています。首席奏者や音楽大学の教授もいます。

 

★毎年恒例で美大の芸術祭で弾き語りライブをしました。「Just Way You Are」など。研究室に自家製の梅酒や杜仲茶を提供したり。

 

★図書館で音楽構造の専門書や語学の本を取り寄せて勉強したり。国会図書館にしかない本も取り寄せられますが、来るまで何週間もかかり、持ち出せないのが難点。しかしなかなか情報の無いトロカイオス、ダクテュロスなどのメートゥルム(古代言語からドイツ語等に受け継がれたメロディーのリズム単位)について調べたりできました。自分では独自に作曲やアドリブの構成要素として音型を分類していましたが、やはり古代の人も形式を分類して叙事詩や旋律に使っていて、それがクラシック音楽に受け継がれていたと分かりました。ゲーテやシラーもこれを踏み台にしており、ベートーベンやシューベルトもそれを曲に使っているわけですね。まあ、君の味方だよ〜、幾千のォ〜、会いたいぃ、をコピペするちぇ〜ポップとは次元が違いますね。

 

★一方ドイツ語能力はなかなか深まらなくて、安全策的に英語も勉強。テレビの洋画やドラマなどの音声を切り替えて聞き取れるかやったり。英語で書いた分をドイツ語に翻訳したりその逆をやったり。古本で受験英語の参考書を入手しておさらいしたり。

年末に他の市の図書館も広域利用で登録して文法解説書や会話例などCD付きでたくさん借りられました。

 

★音楽実技面ではゴダン・ギターをハープチューニングにしたり。

変則チューニングで何通りか構築してます。「モザイク」「ナッシュビルⅡ」など編み出しましたが、弦によってオクターブを変えるにはゲージも変えなければいけませんから何度も張り替えて、調も替えて実験するので大変。ネックに妙な負担がかからず、弾きやすさも考慮したり。これで対位法はやりやすくなるけれど、ジャズ的なアドリブは難しくなる。いずれアイバニーズの7弦に応用しようという計画です。

 

★紅葉の変化を定点観測で撮影したり。(これは綺麗に撮れているので、動画として連結したりして後日Neighbor Nature Everのコーナーにアップロードします。以前これを分解写真のように年賀状にプリントしたら好評でした。iPadの導入であらためて美しい自然の変化を観察・撮影しました。)

 

★日常的には資料用にクラシックを中心にジャズ、民族音楽と語学をインターネットでMacに毎日録音して曲目や作曲者データの編集。テレビは放送大学の語学、音響と大脳生理学との授業、芸術論、錯覚や記憶に関して心理学、等を録画してかいつまんで勉強。

 

★ギターや作曲法、即興理論とエクササイズの教則本原稿を書き進めています。pdfでネット販売か、レーザープリンターを導入して自分で印刷・製本するか?・・

 

★鉢植えで育てているハーブ・が元気なくなっちゃった。

秋にいったん元気がなくなって葉っぱがしょぼしょぼしていた後、復活してみずみずしい葉っぱも増えて来ていて安心していたんだけど、上記のいろいろなことやっているうちに、しなしなのカサカサになっちゃった。庭の木や公園の木は落葉樹以外いつも元気なので木ッてすごいなー、この寒さの中風にさらされても、雨を浴びても大丈夫なんだなすごいな〜強いな〜という印象をもっていたので大丈夫と思っていたのですね。・・ごめんなさい。

そりゃそうだ、最近は氷点下になってますので。夜帰って来て懐中電灯あてると地面がキラキラ光ってきれいだけど。朝なんか車の屋根とフロントガラスが真っ白になっている時がある。家の中も寒いので冬物だしてきたり寝袋など自分が凍えないよう対応策やっていたら、わっさわっさに茂ってたミントもあっという間に枯れかかっちゃって、しまった!

今は室内に入れて簡易ビニールハウス的な状態にして養生してます。さらに夜には不織布をかけてます。

春に復活するかな?いい香りはしているので。

 

★昨日パンク修理しました。おとといの夜イオンモールの駐車場に止めて食糧買って戻ったら、左前タイヤがぺちゃんこになってました。んがックク。スペアに替えて自走して帰り、今日までのタイヤ館でぎりぎり修理して前後のリプレイスもしました。どうも釘が刺さったようで。ああ〜もうこんなのでいちいちブレーキがかかるんだ。

 

★あとは体力トレーニングで、走ったり腕立て、シャドウボクシング、体幹トレなど。腹筋の時もジーブン・ウント・ツヴァンツィヒ、アハト・ウント・ツヴァンツィヒ・・とドイツ語で数えるようにして頭と体と同時トレしてます(笑)。でもシューズがぼろぼろで、ジャージもまともなものがないので重ね着を工夫したり最近は手袋して。準備に手間がかかるとおっくうになりがち。

 

★Ohkiii〜Dooooki、それではまだこのあと年賀状作業に掃除、除夜の鐘付きと石仏周りするので、このあたりで。あ、年越しそばはさっきゆでて食べましたよ。野菜と豆腐もゆでて。

それではみなのもの、良いお年を。

 

            2017年12月31日  記

 

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↓以前にアップした内容。


ハーブで虫除けスプレー作り

摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。
摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。

★合宿から戻って来ました。

                  2017年8月17日 記

いつも行く茨城県の田舎にある分校跡で、後輩の美大生達が子供達を集めて作ったり、遊んだり、食べたり、踊ったりします。(5月に書いたブログを参考に)
私自身の今回のテーマは植物との共存。薬用植物を身近に活用ということ。

 前回書いた6月の梅や杜仲の葉ワークから、発酵を調べたりしているうちに、ハーブの研究をしだしました。ミントやレモンユーカリ、ゼラニウム、ステビア等、苗を買って来て育てたり、エッセンシャル・オイルやドライハーブを入手したり、メディカルハーブの本を図書館でたくさん借りて、勉強してます。でも一般的なハーブティーやアロマテラピーという利用法よりも、虫除けスプレーと、痒みどめを作るというのがまず目標。カやブヨに刺されるのはいやですからね。理想は自分で育てたハーブの葉から蒸留して成分を抽出して、スプレーや軟膏等を作ることです。

 どの本を見ても、精油(エッセンシャル・オイルのこと)を何滴混ぜるとか、インフューズドオイルやチンキの作りかたなどは書いてありますが、精油そのものの作り方は載っていません。そこで調べてみると、結局ハーブの葉や花などを蒸すかゆでるかして水蒸気として取り出したものを水滴に戻す感じとわかりました。あまり家でお手軽に行う感じではなく、専門店では5mlで1000円などで売っていますが、チャレンジ精神が旺盛なもので、いろいろ試してみました。本来は理科室などにあるビーカーやガラス管、アルコールランプ等でしっかり組み立てるか、高い機械を買うものですが、スペースもお金もありませんので、いろいろな図を書き写してみて、梅の発酵観察等で利用した100円ショップのガラスコップでできないかな、ということでやってみました。

 まずは水だけ入れて水蒸気をホームセンターで買ったシリコンのチューブを通って水滴で取り出せるか、いろいろ実験した結果、できました。いったん冷めてからセージのドライハーブと水を入れ、徐々に温度を上げて行くといい香りがして来て、ポタ、ポタと器にたまってきました。とても強い香りです。これが精油なんですね。チューブはとても熱くなるので水を溜めたボウルを通して指で角度を調節しながら冷まさなくてはいけません。(注:これを読んでまねして事故にあっても責任を持ちかねますので、安易に行わないでください。)

100円ショップのガラスコップでハーブの蒸留。精油がとれます。管を冷やすのにコツがいります。右下に見えているのは持って行ったステビアの鉢。食べると甘いのでみんなびっくり。
100円ショップのガラスコップでハーブの蒸留。精油がとれます。管を冷やすのにコツがいります。右下に見えているのは持って行ったステビアの鉢。食べると甘いのでみんなびっくり。


★それで道具類と買った精油2種、ドライハーブ、育て中のハーブの鉢2つを持って行き、写真のようにセットして蒸留してみました。

 そうして虫除けスプレーを3種類作りました。まずミントの精油からと、育てたゼラニウムのチンクから作れました。ローズマリーを水蒸気蒸留したものはやや濃いため、割合を探り中で、先の2つを寄付してきました。

こういうことを“ぶんこう”空間でやることでこの手法に興味を持ってくれる学生がいたら独自の文化として広がるかも、というきっかけの意味もあります。

 

 また、近所の農家の方とお話しできました。するとやはり例の「梅肉エキス」がお腹に効くとか、日常的な発酵食品の作り方、民間療法など話が通じて盛り上がります。例の杜仲茶の葉に興味がおありのようで乾燥させた葉を差し上げて来ました。代わりに取り立てのナスを頂きました。
また、古くから交流のある近くの乾物屋さん(お菓子屋)に例の完熟梅ジャムをお分けしたら自家製ブルーベリージャムを頂きました。こうした自作の食べ物で、ある種の物々交換的になるって田舎ならではですね。
 実は私はこうした、生ものでの交流は本来苦手な方で、学生時代仲間がそうした活動している間、音楽や芸術表現の追求にエネルギーを向けていました。その分を今になってなにか償おうとしているのかもしれませんね。少しだけ進歩出来たということです。また、近年の活動内容に“ぶんこう”ならではの広がりが薄くなってきているので、失なわれないようにという意識もあります。

★ブヨ刺され対策にはなんといっても「ヘビイチゴの焼酎漬け」です。これの2年ものを持って行ったので、刺されたこどもに付けたら、やはり効きました。(写真、右の瓶)

さらに天日干した杜仲の葉を持って行っていたので、煮だした葉っぱをパップ(直接当てて絆創膏等で止めておく)のもやってみました。これは最近自分でかゆかったところにやったら効果があったので。

 

 そして例の自作の2種類の梅酒も学生達に好評でした。焼酎で作った方は、ベニシアさん(イギリス出身→インド長期旅行→京都で古民家使ってハーブ中心のオーガニック生活)の影響で、レモンバーベナの葉も漬けてあります。ブランデーで漬けた方は超濃厚になってます。

 氷や冷水で割ったところに、持って行ったミントの鉢から、目の前で葉っぱをもいで乗せて、爽やかな「モヒート」状態にして。新鮮! このあまじゅっぱ〜くて、ス〜っとする元気の出る味に、ハマる人はハマるみたいで何倍もおかわりしていました。詳しくはまた後日写真入りで。

 

★その他、「スイカ割りの棒」が必要ということで、中学生たちと学生で、木の枝から作りました。まっすぐめの硬い枝を選び、細い枝葉はナタで落とし、外皮を削り落とし、滑らかになったら火であぶって小さなささくれを排除しました。さらに焦がしては「皮手」 などでこすってすべすべにして持ちやすくし、ハーブ作業用に持って行っていたマカデミアナッツオイルを少々塗りこみました。これは保護の為ですね。

 前にも書いたバルカン半島の笛Kavalを作る映像を見ていたので、やってみました。

さらにオリーブオイルを塗っては拭いてと、染み込ませて耐久性を出しました。学生時代に、木を削って作った器に「拭き漆」をやらせてもらったことがヒントになっています。(自分は油絵専攻だったのですが、熱意があると木工の先生が特別にやらせてくれたのです)

最後に、焦がして色の濃くなっているところに、一緒に作った人たちの名前を各自が刻んで記念としました。

 まあ、たんなる「木の棒」なんですが、アフリカの杖みたいな、代々伝わる的な、魔術的な、渋〜い風情が出て、ほんのりいい匂いもして、こども達にはかなりお気に入りの一品となりました。

 私は、こういう風に「どこでも図工教室」というか、「はじまっちゃう系」というか、自然素材を使って即興的に、ちょっとした知識の応用と道具の手作業を使って作る活動が好きです。あまりインスタントでちゃちなものは物体も心にも残りませんし、かといってあまりにも難易度が高くて時間がかかりすぎるのもついて行けない子が出てしまいます。なんとなく作業が見えて、変化が起きて、五感で受け取るちょっとした驚きがあって、充実感を得られる活動がよい、そして私がいつも気にかけているのは、大災害や、まわりに便利なものが無かったり、遭難したり、という時に機転を利かせれば役に立つような要素を含んでいるのがいいな、と思うのです。私は教員時代、授業でこういうことを重視していました。それも学生時代にこの“ぶんこう”での活動に感化されたからです。

 この棒作りも、校庭のまわりを歩いて枝選び、ナタでの作業、火を使った作業(熱の体感、湿った時の火起こし、皮手の耐熱性、火男=ひょとこの話)、油を塗りこむ、名前を刻む細やかで美術的な作業、手触りの良さ、匂い、そしてスイカ割りに使うという実用性、と多様なフェイズを持っている点、多様性に惹き付けられるものがあったのかもしれません。

 しかしこういう充実した状況を創出するには、リードする人間にそれなりの力量が必要とされます。デジタルではなく、刃物類を扱う技術、水や火や油、土、木、石、風などの性質を体験的にも科学的にもある程度理解していること、対象の素材が適しているか判断する経験や感性の蓄積、いっしょに作る人を飽きさせない話術やリズム、その活動にまつわる余談的な関連知識を持っていてイメージの広がりを喚起できる技量、必要になりそうな道具をあらかじめ察知する嗅覚と調達する能力、安全性の確保、もちろん体力、最後に魂、といったものです。

 今の学校教育の現場では教師がなかなか持ち得ない部分ではないでしょうか。

(教員を育てる大学や養成学校、教育委員会自体がこれを理解出来ていませんから。何せその上に鎮座する文部科学省があのザマですからね。さらにその上の内閣が、国を成り立たせてるのに重要な「エネルギー」について真剣にとりくんでいなくて、もう一方のエネルギーである「人材」そしてそれに必要な「教育」について真剣にならないわけだから。真剣になるのは私腹を肥やすシステム、天下り先、特区などを利用したリベート、次期選挙、マスコミ対策、ぐらいですか。)

 私の場合は彫刻科の先輩方や、職人さん、林業に携わる人、そしてアマゾンで先住民のおじさんから少しずつ吸収してきましたが、まだまだ力量不足と思っています。今ハーブを育てるのに土の水はけのことや、葉を増やすのに摘心(剪定)したらすぐ芽が増えて3日後には新しい枝が広がっていく生命力(冒頭の写真)など、今更ながらの発見が多いのです。

 そして今は革細工をやろうとしています。実はお財布が壊れてしまったので、皮で作ろうというわけです。というのは、壊れて次のものを買う時に、毎回実用性のよいデザインの財布が無いな〜と腹立たしく思っているからです。よさそうと思うものはべらぼうに高く、安いものは耐久性も劣る、という状況。教員時代の工作用の皮(確か太鼓を作る為だったかな)が余っているのを思い出し、思い切って自分でデザインして作ってみるか、というわけです。カード類の多い昨今たくさん収納出来てすっぽぬけにくく、小銭の出し入れもしやすく、レシートも収納出来るもの。それで図書館から資料をいろいろ借りて来て用意しつつあります。なるべくジッパーなど出来合いの部品を使わず、「その手があったか!」という機能的なデザインを目指しております。

 

 

★あと、小さな子達と粘土で器作りもありました。学生がやっていて手伝ってほしいということでこれも即興的に参加して。以前は“ぶんこう”ででもさんざんやって、陶芸家になった人も多いのですが、最近は「土のこと」のとりくみが少ないようです。教員時代の授業でもやりましたが、短時間だし小学2年生だったりで「手びねり」なわけですが、ヘラも無いし、ドベ用の皿も無い、切糸用の針金も無い。大きい扇風機で乾きやすくなっていて粘土もいまいち粘りや可塑性に乏しい。

まずは簡易型の笛を短時間で作って吹いてみせました。このことによって粘土の可能性や興味と、私への信用を持ってもらうわけです。

 コップを作りたいと言う子もいる。そこで板状に延ばして組み立てることにしました。ひもを重ねて行くのは時間がかかるし、空気が入らないように押さえつけるには経験が居るので。

 手のひらで押さえつけて平らな状態を作り、ヘラの代わりに鉛筆の先で周りを切って底の丸い部分、壁の長方形を作り、接合部は鉛筆の先でギザギザバッテンに荒らしてからドベ(同じ粘土を水で薄めたもの)を塗って壊れないように押し付けます。うまくいきました。手で持つための「把手(とって)部分はコロコロころがして作った棒を慎重にカーヴさせて、接合部はギザギザバッテン+ドベで。ある女の子は「はにわ」にしたいということで、上向きカーヴと下向きカーヴにした棒を左右に接着し、顔は削って書きました。

  こういうことは蓄積が無いととっさに指導するのは難しいです。粘土や竹、木工というのはあらかじめ自分で試作したりして性質を把握しておくこと、年齢ごと の難易度を理解して、道具類を準備しておかないと気に入った作品で残すところまでたどり着くのは難しい。さらに焼き物の場合はいつ・どこで焼成するか、 こどもに立ち会わせるか、釉がけして本焼きまでやるか、壊れないように管理出来るか、など多様で時間を要する側面があります。「土や水」「火」いわば地球 へのリスペクトも持つべきと思います。そうしないと男の子なんかはちぎっては投げてといういたずら道具になってしまったり、途中でやめてしまったり、ただの固まりで作ってしまったり(気泡が入っていて膨張したりで爆発する)、焼く作業は人任せ感覚になって自分の作品と言う達成感がともなわなくなったりして しまいます。

 かといってあまり「やきもの道」感や教条主義的になりすぎても、とりくみにくい もの、めんどうくさいもの、として敬遠されてしまいます。これはやきものに限らず、和紙作り、竹細工、染め物、織物など日本が自然素材と育んで来た文化が 失われて行く原因でもあります。まあ指先で触れるだけで相手を殺すゲームや、辞書を持ち歩かず文字を入力するだけで調べ物が出来たり、名前も明かさず批評できるといったデジタルガジェットに囲まれ「単一動作」で育った人たちにとっては手強すぎるし、「我慢弱い」世代にとっては職人さんに習おうにも気難しい人が多くて面倒、ということになりましょう。

 となると技術や経験は上回っていて、でも一緒に探求してくれる、社交性のある人物、という存在が重要になってくるのですが、現代の生活ではそういう機会も空間も時間もありません。学校も政府もこのことには気づいていません。定型を権威で押し付けて来るか、いかにもお役人仕事の一過性の体験教室、すでに興味を持った人への強化制度、といった感じで、職業として専門家になるとは限らないが、仕組みや技術を理解してある程度再現性のあるように体得させて日常に根付かせるという視点がありません。だからこどもたちにとってはいきなり職人になりますか?それとも関わりにはならないですか?というような二者択一的な雰囲気になってしまう。ちょこちょこおじいさんの手仕事を手伝う、という空間にはならないんだ。

 すると安易に欲求を満たしてくれるガジェットに走る、ということになって行くのですね。

 音楽界も同様で、すでに定型のあるクラシックでは習得システムが熟成して来て裾野も広いので、世界的に通用する人が出て来てます。これは野球界も似ています。ところがクリエイティビティやオリジナリティが重要とされるポップスなどでは世界に全く通用しません。児戯以前です。国内でもこのクオリティでは・・恥ずかしいです。CDが売れないのも当たり前。

 ワンパターンではない素晴らしいものを作るには、音階一音ずつの性質の把握、それが和音が変われば変容すること、セカンダリードミナントの意味や借用和音、分数コードやテンション、ポ リコード、ペダルトーン、クリシェの応用、インターモジュレーション、非和声音、アンティシペーション、カウンター、既出の名曲のアナリーゼ、音域の棲み分け、リズムフィギュアの精査、当然演奏技術、音域を広げる歌唱力などを学ばなければいけませんが、めんどくさがって敬遠して安易な切り貼りに終始しているのです。教えられる人もいないし。中学・高校の音楽の先生で今書いたこと例を示しながら教えられる人、5人居るかな・・というところでしょう。

 こうしたことは既にビートルズなり、バカラックなり、デヴィッド・フォスターにクィンシー、スティーヴィー・ワンダー、スティーリー・ダンらがとっくに確立していることで、それらをアナリーゼして手法化できる人がいないのですね。メソッドがない。あわせて歌詞の世界もメタファー文化が無いし、ポエトリー文化は低迷の評価も低い、文学のステイタスが低い、哲学的思索も敬遠されるという日本において発達できないのですね。ディランやジョニ・ミッチェル、ニール・ヤン グらから学びとろうという動きも無い。英語が苦手だからですね。

その結果、ただの散文になってしまい、使い古された単語のコピペ、使い回し。

まさに毎日新発売の駄菓子オンパレードという様相。

  いい音楽を作るというのはやたらコンプレッサーで音量をあげまくったり、下手な歌をデジタル修正しまくったり、歌唱力不足をユニゾンでごまかす、タイアップやお化粧でビデオ売り込みする、お遊戯振り付けで取り上げられることをねらう、ということではございません。デジタル機材の普及によってますます安易に切り貼りできるようになり、作り手も低年齢化、本格的リスナーには通用しないから対象も低年齢化、低精神年齢化、曲そのものよりもイベント化・・・。

これでいいんでしょうか。

よかーない。だから先述のように技術や経験は上回っていて、でも一緒に探求してくれる、社交性のある人物、という存在が重要になってくるのです。ギターはある程度弾ける、でもスティーヴィーのこの部分どういう仕組みなの?ビートルズはなぜこの和音進行を思いついたんだろう?という時、または鍵盤である程度コードを弾ける、でもドナルド・フェイゲンのこのハーモニーは?という時に一緒にひも解いてくれるような人物、それが日本のポップスを底上げしてくれるわけですが。そういう人物を育てなければいけない。かつてPP&M等フォーク初期や、ベンチャーズ・ブームという時はギターなので、まああったんでしょうが、鍵盤の技術とジャズ・ハーモニーの手法が取り入れられたものになってくると、無理なんですね。それは日本のピアノ教育が楽譜偏重主義で、和音の仕組みや編曲の根拠、即興力を教えていないからなんですね。作られたものを弾くことは出来る、だがメロディーと和音がどうしてそうなっているのかわからない、この和音進行で自由に旋律弾いてごらん、という学びが無い。だから専門的な学校で学ぶか、イージーなものに終始するか、ということになっちゃう。

 というわけで、身近にありながら奥の深いものと、知識不足の我慢弱い人たちとの関係の難しさについて、伝統工芸もポップスも同じような構図なんですね、ということを述べました。

★さて、私は上記の活動のさらにアナザーディメンションでいつもの「ヒグラシ録音」をしてきました。朝4時です。以前書きましたように「UFO鳴き」を解明する為です。

 長くなりましたので合宿関連は今回はこの辺で。

東京に戻って、雨続きもありヒグラシはもう息絶え絶えですね・・。寒戻りならぬ「梅雨戻り」?

✴︎帰って来ると世界陸上もすごかった。
ボルトのラストラン、ガトリンの念願かなう、超人ファラー、アリソン・フェリックス健在、と見所たくさんでしたが、私的にはダフネ・シファーズ(本来の発音はスキッパーズ)選手に釘付けでした。これらはまたの機会に。

 

 

✴︎最後に、8月15日は終戦記念日です。

みなさんいかが過ごされましたか?

  私は近くの大悲願寺という大きめのお寺に行ってお経を唱えてまいりました。戦死者が安らかに成仏できますように、そして世界が平和でありますようにという祈りを込めて。それも表面的な儀式に終わらないよう、できる限り亡くなった現場をイメージして。
終戦記念日といってもそれは日本国内で言っているだけ。昨年詳しく書きましたように、世界的には実際に武装解除して調印した 9月2日が終戦です。
今年も秘匿されていた情報や映像が公開されたり暴かれたり、今まで語るのをためらったり拒んでいた人たちが思い口を開き出したり、聞き取り録音テープが発見されたりして、今まで情報操作されていた部分など明らかになって来ました。

次回書きますね。

 

 それではアッリヴェデルチ!

                  2017年8月17日 記

 


 

以前アップした内容です。↓




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★オリンピック前に盗作予防
2016年8月3日

久しぶりの更新です。ハードディスクのOSのインストールしなおし、導入したパソコンへの移行、故障ハードディスクからのサルベージなどで時間がかかってしまいました。常にインターネット・ラジオを40時間ほど録音しながらドイツ語、ポルトガル語を勉強して、作曲、練習、ギター教室、さらに夜明け前と夕方にヒグラシの鳴き声などのフィールド・レコーディングにでかけるといった毎日で、なかなか新しいMac環境が完成しませんでした。でもオリンピックにむけてあらかじめアップしておいた方がいいと思うことがあるので、取り急ぎ更新いたします。
★熊本の地震についていろいろ書いたのですが、別コーナーで後日アップいたします。

★さて完全に夏ですが、もうすぐ開催されるリオのオリンピック・パラリンピックのオープニング、開会式でまた私のアイディアが無断借用されないか心配になったので、あらかじめアップしておきます。
 どういうことかというと、かつてカナダの国際的なパフォーマンス団体に入団するため、モントリオールや国際便でさまざまな資料を提出したのですが、大きな大会で「無断で使われて」しまったのです。オリンピックの閉会式、ワールドカップの開会式、彼らの音楽イベントで舞台で行われるパフォーマンスとして、など。もちろん連絡も無く、使用料どころか発案者の私の名前も出ません。
提出したのは上や右の図のようなカラーのパフォーマンス図と英語で解説をつけた図といったアイディア集のポートフォリオです。1999年に書いたものです。
この中から舞台装置や演技方法をそのまま使用されてしまいました。
しかも私の提案より劣化した状態で。
 それで、今回、もうここでいくつか公開してしまおうと思いました。ポートフォリアにはまだたくさんのアイディアを入れてありましたので。
もしリオのオリンピック・パラリンピック開会式(&閉会式)の中で以下のものに酷似したものが出て来たら「あ、能勢さんのアイディアまた無断使用されたんだ」と認識してください。
また、世界がほしがるアイディアの宝庫というわけですから、何か依頼したいことがあれば、ご相談ください。
★まずスーパーホッピングです。
これはこどもが遊ぶ、バネ付きの棒「ホッピング」を強化して高く飛べるようにして、アクロバットを含むダンスを展開するというものです。

金属の棒に手で捕まるT字の横棒と、足を乗せる踏み台で、これがバネで上下するようになっていて、ピョンピョン飛ぶ、あれです。これの跳躍力を スーパー高めるため、スプリングの素材、太さ、巻き数を工夫します。自動車やMTBのサスペンションなどで発達した技術を応用します。訓練したアスリート が使えばかなり高く飛べるでしょう。
もちろんパフォーマーの体格、体重に合わせて調整するわけです。考案した技として、
★ジャンプしている間にスティックを水平に1回転させてまたホールドして着地します。
★ジャンプしている間に手を離して両手両足でポーズをとり、またホールドして着地します。
★2人のパフォーマーが高く飛んで空中でお互いのスティックをいれかえます。
★ジャンプしている間に自分のスティックを時計の針のように大きく1回転させてもとの位置に戻して着地します。(ロックヴォーカリストがマイクスタンドを振り回すように。)さらに
訓練すればスティックと一緒に空中回転も可能でしょう。(スノーボードのように)★ハンドルのT字部分の上に逆立ちします。

★このイクイップメントですが、設置面となる接点はエラストマーを使用します。舞台床に付く傷や負担を減らす為です。
また、おおまかにふたつのタイプを設定します。もう一方はストロークが長く、深く踏み込んで高く飛べるタイプで、バレーボールでアタッカーと同じような跳躍動作です。スプリングのストロークが長く、ちょうどトランポリンで深く沈んだのが戻るのにあわせて加速して飛びます。空気圧のシリンダーを本体に組み込んでもいいでしょう。体重のあるパフォーマーが適しています。あまり小気味好い動作には向いていないでしょうけれど、演技中で大きく飛ぶ役に割り当てます。

 

スケートボードなどストリートのエクストリームスポーツに興じている人にある期間与えれば次々あたらしい技も生まれるでしょう。
★私の考案はたんに高く飛ぶ、危険な技を披露するというだけではなく、音楽に合わせ、バレーのように格調高く舞うところにあります。シンクロナイズド・スイミングやマオリ族の「ハカ」にも敬意を表したいです。
例えば9人で細かく飛んだりスピンしたりする中で4小節ごとの旋律の切れ目に全員が片手と視線で右をさすとか。3人ずつのグループで特徴のある、違う振りを割当て、舞台で小刻みなジャンプで行進して行き、すれ違うとか。ヴァイオリンのレガートなメロディーにあわせ、ジャンプせずに傾けたスティックで旋回するとか。コレオグラフですね。そうした演舞のなかに大技を入れます。
★飛ぶだけでなく、地面の上でいろいろな演技もできます。
例えばスティックを斜めに倒してT字ハンドルの端を片手で持ってもう一歩の手は伸ばしてバランスをとる。傾いたスティックに斜めに乗っている状態です。これを全員でぴたっとそろえる。観客の目が上下動に慣れている時に静止するのは効果があります。
ここで延ばした方の手を別のパフォーマーとつなげばさらにバランスとれます。
また、踏み台に片足を乗せ、別のスティックにもういっぽうの足を乗せてバランスをとり、肩に一人が乗っかって立ち、組体操のようにもできます。そこから飛び降りる時にまたスティックの踏み台に着地するとか。アメリカで発達したチアリーディングのパフォーマンスの技術も取り入れられます。
たんにアクロバットだけでなく、優雅でエキゾチックなダンスを見せるところが特徴なのです。
途中で音楽が止まり、実際のスプリング音や着地音を聴かせたりもします。そこに生声で歌って、ある種、儀式のような空間も演出します。
★また、ストーリー性を持たせて、演劇的な構成にすることも出来ます。例えばパフォーマーがホッピングを担いで歩いて来て、パントマイムでお互いに自分のスティック自慢をする。オレの方が高く飛べる、オレのほうが素早くできる、みたいな競い合いから仲間が出て来て、次々技を繰り出す。まあ、バトルものミュージカルのように展開するわけですね。
 あるいは特別な「伝説のスティック」があって、通常のジャンパーでは反応しない。それが物語のある状態でヒーローが可能にする。(そのときとっておきの技を繰り出して盛り上げていくわけです。)
 またはラヴェルの「ボレロ」のオマージュとして、酒場のようなところでホッピング・スティックがいくつもころがっていて、なんだこれは?と。いろんな人がいじってみるが、興味なく放置される。そこに主人公がきて、ジャンプし始める。いろいろな演技をするうちみなも興味持ってそれぞれのスティックで飛び始める。中央の主人公がやる技を円形のみんなもとりいれて、壮大な演舞となって行く。
 または、女性パフォーマが出て来てかわいらしく飛んでいる。それを口説く男性ジャンパー(もちろんパントマイムで)。これは衣装等で妖精の世界か神話をモチーフにしたロマン派のような演出です。別の男性ジャンパーがきて口説く。お互いにどちらが女性を魅了するか、さまざまな技を競い合う。そこに馬のような異形のかぶり物をした登場人物。娘に肩に乗るよう身振りで伝える。娘が肩に乗るとそのままスティックでジャンプする。娘が大喜びしているとかぶり物がユニコーンの姿に変わって、そのまま娘を乗せて舞台から去ってしまう。残された男性ジャンパーはきょと〜んとして見送る。など・・。
いくらでも思いつきます。
これをメイン演目でなく、他の演目の合間にショートストーリーとして登場させてもいいわけです。

いかが?見てみたくない?
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★次に「不思議な音楽隊」です。
これは、音の出るしくみを使っていろいろなオリジナリティーのある楽器・音具を使って合奏するものです。
もちろん、ただ変わった音具を鳴らすというのではなく、図にありますように、訓練された体術に寄って演奏します。
★そのひとつで、ウォーター・シロフォン

瓶に水を入れ、マレットで打楽器として叩きます。これ自体は、昔からあるものですが、円形に並べて、通常届かないような方向もコントーションで、届かせます。
コントーションというのは、昔からある体の柔軟性で魅了する演目です。この信じられないポーズで、ガムランのような演奏をするわけです。一部マレットを持ち替え、ガラスならではのきらびやかな音も使います。
綱渡りによるコントラバス

私が普段演奏するメイン楽器はギターですが、弦楽器は、弦の長さと太さ(材質・質量)で音程が変わります。指で弦の途中を押さえると振動する長さがそこまでということで音程は高くなるわけです。そして弓でこすればヴァイオリンやチェロのような擦弦楽器、つま弾けばギターのような撥弦楽器、叩けばピアノのようになります。この原理を使い、綱渡りによって音程を決めて、その綱を弦として叩きます。それほど大きくはないセットで、綱の端は共鳴する箱の駒(ブリッジ)上を通ってから固定されています。高所でのタイトロープのスリルではなく、目の前でバランスをとって舞い、音程を変えるというところに主眼を置きます。

綱の上を素早く移動して、もう一人が鳴らします。綱のたわみを利用して軽く飛ぶと「開放」の音程になり、低くなります。もちろん大きなもので低い音ですから、通常のメロディーを素早く演奏するのは困難ですが、ジョン・ケージ的なアプローチの楽曲を設定します。また、訓練すれば、1/2、1/3、1/4といった地点で軽く足を浮かせて「ハーモニクス」という倍音を出せるかもしれません。

 私はブラジルの民族楽器「ビリンバウ」を持っていますが、これは弓のような形をしていて、金属の弦に石を押し付けて音程を替え、若干しなる木の棒で小刻みに叩き、ひょうたんの共鳴を使います。手にはカシシというシェイカーを持って同時に鳴らします。

 こうした、エキゾチックな音色ででリズムに重点を置いた演奏を取り入れるのです。また、隣に別の長さでもうひとセット設置して2人のコンビネーションによってメロディーやリフの種類は増やせます。このコンビネーションはアンデスのフォルクローレで、「シーク(サンポーニャ)」を吹く2人が息を吹き込むタイミングと選ぶ筒を変えることで、つながった旋律のように聴かせる手法を参考にシークエンスを作ります。例えばドレミレドと鳴らすにはひとりがをダウンビートで吹き、の担当の人はアップビート(裏拍)でド・ミの間のリズムで吹きます。すると、と・が組み合わさってとつながるのです。もちろん延ばす音や休符でもっと複雑になりますが。

私はかつてアイマラ族の来日公演を見に行きましたが、スペインに侵略されてギターやチャランゴといった弦楽器が入る前の伝統楽曲を演奏する際、この手法をたくみにあやつって倍音を含む低い音を大きく出していました。しかもボンボという大太鼓を叩きながらです。
 私のアイディアは現代美術的な印象を持たれると思いますが、スピリットは「土」に根ざした、古来からの文化をリスペクトしているのです。

スティール・パンをヨーヨーで叩きます

左の図のように球面内側のようにセットしたパンをヨーヨーを操って当てることで鳴らします。

2人が背中合わせ、向きを変えて方向を変えながら、先ほど説明したようなリズムコンビネーションを利用して、ミニマルミュージックのような音楽を奏でます。

 

★竹の空中シロフォン

2人がジャグリングのように筒を投げて交換しますが、それを空中で衝突させると音がします。これを利用して奏でます。

もちろん跳ね返ったものをキャッ チしなくてはいけませんから、訓練が必要です。タイミング、角度。手で持ったり支持体に固定しませんから、振動は阻害されず、さらに空中を移動しますので独特の音がします。

訓練次第で、手元に飛んで来た筒を、持っている筒ではじき返して飛ばせると思います。この時にも音がします。
材質と肉厚で音程を替えます。竹を切っただけの筒でも肉厚で密度があるとよく響きます。実物のシロフォンのように筒の中程を少し削ることで振動しやすくしたり音程を調節します。もちろん長さや太さを変えればかなり変えられますが、衝突のコントロールが難しくなりますので、サイズの違うものの場合はセットを持ち替えたり、別のコンビが担当します。

 

 

★次にストンプ・オルガンです。

空気で鳴らす鍵盤楽器には、教会のオルガンが古くからあります。小型で持ち運べるアコーディオン、バンドネオンなどがありますが、「ふいご」を足で踏むことで空気を送り込む楽器を考案しました。ハーモニカやアコーディオンと同様、鍵盤一つずつにフリーリードがついていて空気で振動して音が出ます。肩からかけた鍵盤を踊りながら足踏みポンプで空気を送って演奏するわけです。両手で演奏出来ます。
メロディカとか鍵盤ハーモニカとか手軽な製品もありますが、和音や低音を鳴らすにはかなり空気の勢いと量が必要です。とても口から送り続けるのは無理なので、足下のふいごを踏むと送られるようにしています。無いようにあわせたステップを踏んで踊るように弾きます。電気を使わずあくまでもアナログで。

★こうした楽器・音具群をあやつって、ちょっとボッシュの絵にでてきそうな奇妙なオーケストラというアイディアです。
もちろん私は音楽家ですので、作曲出来ます。エキゾチックで無国籍な博覧会的な曲です。
ヨーロッパの古楽的なイメージ、ミニマル・ミュージック、ジョン・ケージ的な通常音階でない音の組み合わせ、ピグミー族の輪唱、それらをあわせた、ネオ・ワールドミュージックのようなものです。
 パフォーマーの錬度にあわせて、それが出来るようになったのならこういう曲もできるはず、と作・編曲出来るわけです。

他にもいろいろアイディアがありますが、長くなりますので、このへんで。夜にまた追加しようと思います。 能勢

続きです・2016年8月3日 記

★あとバウンシング・クラッカーです。

昔クラッカーボールってありました。ふたつのプラスティックの球体を紐で吊るしてあり、タイミングよく上下に振るとお互いにぶつかって反発して、また戻って、というおもちゃです。上手になると下だけでなく、上側でもぶつけて倍の早さでカチカチやったりします。

この左の図は、そのクラッカーボールのような球体の振り子の大きなものを作り、人が乗るスリリングなパフオーマンスです。上に乗ったパフォーマーがブランコのように体重でこいで、徐々に大きな振りにして行きます。

もちろん球体はある程度の弾力があるエラストマー物質で衝撃が強すぎないようにしてあります。

見た目にはドーンっとぶつかって跳ね返り、ダイナミックなものになります。上に乗っている人は球の上でくるっと回転したり、ロープから離れて球体の上を歩いたり跳ねたりとパフォーマンスします。衝突の瞬間にお互いに反対の球に飛び移ったりも出来るでしょう。

 

また、下の面にぶら下がれるハンドル(とって)がついていて、別のパフォーマンスが空中ブランコ的な技を披露できます。勢いが出るよう体の振りでこいだり、足をかけて逆さにぶら下がったり、ぶつかる瞬間に反対の球に飛び移ったりします。  

これは、2つの民族、2つの文化が出会う時に反発するが、それを橋渡しする者もあらわれ、理解し合ったり、融合したりするということのメタファーなのです。

2人いるほうの球は質量が大きいので、もう一方をはじき飛ばしてしまいます。その時に体術でコントロールすると、2人乗りの方は衝突した時にほぼ静止出来ると思います。そしてはじかれた球が戻る時に、今度は止まっている方がはじかれる等、バリエーションができると思います。

 

また、ぶら下がっていない球で伝統的な「玉乗り」を登場させ、人員を増減したり、動きのスピードやダイナミズムを対比します。うまく行けば地上の球にも足にかけるフックをつけて、振り子の球にぶら下がって連結出来るかも知れません。

これもエキゾチックで映画音楽のような曲にあわせます。その曲を私が作れるところが、演技とシンクロさせられて、強みなのです。

 

さて、こうしたアイディア集、他に、下からの風で空中に舞う演技、(これは無断使用されました)それを周囲に配したトランポリンや昆虫のような衣装と組み合わせるもの、大きな時計の針をぐるぐる回し、そこに乗った孤独な救済者が支持する民衆の人数によってシーソーのように上下するもの(これは音楽イベントに無断使用されました)などもありますが、今回はこのあたりにしておきます。すべて1999年に書いたものだから17年ぐらい前です。今ならもっといい絵で表現出来ます。

それにしてもどのページにも必ず私の名前とサイン、住所と電話番号を書いていたのに、無視してあちこちで使われました。まあ、スキャンして削除したりしたのでしょうね。佐野られたのですね。しかし原案より劣化した状態で使われるのが余計イヤになります。そうじゃないのに〜という形で。そしてだれか悪いやつのところにお金が流れたんだな、というところがまた悔しい。

 それで、残りのアイディア、どうせ使われるなら、先に公開しておこうというわけです。

以前、フランスの国立サーカス学校でパントマイムを教えていた知人に、このアイディアどうかな、ってお見せしたら、うかつに見せない方がいい、アイディアを盗まれるよ、と真剣に忠告されました。その時はアートパフォーマンスをする人たちにそんな悪い人はいないでしょう、って思っていました。でもいるんですね。そして大きな企業団体になってくると、スカウトマンだけでなく、そういうサノラー要員が世界中でパクってきて組み合わせるのですね。海外の組織は恐いな〜。

 ダ・ヴィンチにはおよばないけれど、私も現代の(プチ)ユマニストとして作曲・演奏だけでなく絵画、オブジェ、アイディア実用品デザイン、ステージデザイン、独自の楽器作り、作曲法や即興理論につながる練習メソッドの考案、と広範囲に取り組んでいたのが、佐野られるのを懸念してエネルギーを音楽だけにフォーカスしていました・・が、こうした能力をもっと公開してもいいかな・・。という気にはなってきました。実はSFめいた小説を少なくとも3つは下書きしてあります。これを映画化または漫画化してくれるスタッフも探してはいますが・・。ネット上でアニメーションとして公開するのも面白いですが、時間がかかるし、お金がない。クラウド・ファウンディングというものを使わせてもらう日がくるかも。

当座は取り組み中の小管弦楽団による室内楽ジャズやボサノヴァの確立をメインにドイツ語の上達、ポルトガル語の上達、ビジネス英語の勉強に集中したいです。

 あそうだ、ン10年、何百と録り貯めて来たヒグラシの鳴き声の発売を緊急におこなわなければ。それもたんなるCDではない形にしようと思っているのですが。これは東北大震災の被災者を支援する為にも使うのです。だれか共同で作業してくれればいいんですけれど・・。

   2016年8月3日 夜  記

 

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ご覧のページはリニューアルしつつあるバージョンです。

  この「冒頭コメント」は次の分に更新したあとは「コラム」のほうに載せることにしました。このメインページに長過ぎる時は短くまとめたショート版にして、コラムコーナーの方にもとのバージョンを載せることもあります。  こちら→コラム  過去に書いた内容から重要なものは新しくコーナーを設けて再録しました。→過去コラム

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↓一昨年秋の内容です。★今だ捜索中なのでこの記事は残しておきます。

もとの詳しい内容はコラムのページで→こちら

 

リュックをなくしてしまいました。残念。

   2015年11月3日 記

オレンジ色に黒のストラップ類で、頑丈なハンドル(持ち手)がついたデイパックをなくしてしまいました。11月25日(日)の夜に小平市鷹の台付近か、あきる野市でなくしたと思うのですが、わかりません。

 

 中に、音楽ノートを3冊入れていました。しかもそのうち1冊はここ2年間ぐらいの、ハーモニーの研究成果を書いた分厚いものです。これが一番くやしい。

 他にはオリンパスの小型デジカメ、ギターにとりつけるカポダスト2個(しかも片方は特殊なパーシャルカポ)。楽譜用の筆記用具類。などなど・・。

 

 もしどなたか拾った方、私に連絡お願いいたします。

こちらです→ generate311-heal○yahoo.co.jp 

○を@に変えてお願いします。迷惑メールに仕分けされないよう件名に私の名前「能勢」と書き添えて頂けると助かります。

 または「お問い合わせ」のコーナーのフォームから送信頂くこともできます。

お近くの交番に届けていただけるのでもありがたいです。

中身をばらばらに散乱して捨てられた可能性もあります。デイパック以外に単体で上記のノートや品々を発見された場合もぜひご連絡お願いいたします。

 

 製品はまたお金を貯めて買うことは出来ますが、音楽ノートを失ったのが悔しい

 もしリュックを拾った人が中身をばらばらに捨てていたとしても、このノートだけでも誰か拾って届けてくれたらいいのに・・と祈っている毎日なのです。

 

   2015年11月3日 記


↑前の内容の写真です。記事はこちら→コラム

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本格コラム

もとはメインページに冒頭コメントとして書いていましたが、時事問題についてなど長文になって来たので、別ページに仕立てました。

このコーナーは私が思うことを書いています。終戦記念日に思うこと、学んだこと、音楽について探求したこと、などなど。かなりの文章量なのでリンク先にアップしてあります。月刊誌か季刊誌ぐらいのつもりでどうぞ。

ソロギターマガジン

ギター1本での表現方法を追求する、演奏例の音源つきWEBマガジンです。(無料)
マル秘の内容てんこもりです。音楽の歴史からメロディーの作り方、コードの換え方、ベースラインに、アドリブ。ギターを弾く方はPCの前にGを構えて、実際 にマネしてみて下さい。音の位置関係がわかります。もしギターでなくピアノを弾く人でも、意外と参考になると思います。クラシックの伝統和声とジャズの コード手法をつなぐようなポジションです。楽器をやらない人も、EXナンバーを順にクリックしていくとmp3音源で、単純なメロディーがだんだん精妙な ハーモニーに変化してジャズテイストに変わっていくのを聴くことが出来ます。

第2号 「経過音~withリハーモナイズ、アンティシペーション~」 

ギター教室
こちらは個人レッスンで、出張で行っております。まったくの初心者から上級、プロのかたまでどうぞ。ボサノバ、ジャズもOK。1時間2800円からで長時間にも対応可能です。相場を調べて頂ければお分かり頂けると思いますが、格安です。
 アコースティックでもエレキでもガットギターでもOK。作曲やアレンジに興味のある方やアドリブの仕組みをマスターしたい方、音楽の仕組みの疑問を解決したい方は特にお勧めです。
 ちまたの短時間グループ・レッスンでは納得のいかない方、お仕事で定期的に通えない方、一人で伴奏とメロディーを同時に弾きたい方にはぴったりと思います。
★学生はチケット制にしました
詳しくはこちら→
詳細

キーボードコースを開設しました。
普段ギターを弾いているけれど、作曲やアレンジ、DTMのためにピアノも弾けるようになりたい、という人のための個人レッスンです。

詳しくはこちら→詳細

Neighbor Nature Ever

「ネイバー・ネイチャー・エヴァー」

身近に有る自然を紹介するコーナーです。

現代の生活ではなかなか日々の自然 の変化を味わうゆとりがありません。私も以前そうでした。忙しくて朝も夜もなく頑張って、気がつくと紅葉は終わって葉が落ちていたり。そこで、主に近所に ある自然の変化をとらえて紹介しようと思います。特別に遠くまで旅行しなくても、意外に美しいものと出会えるものです。
忙しかったり体の状態で外に出て変化を味わえない方、このコーナーで外の空気を想像して楽しんで下さい。

写真をクリックすると拡大されます。



大晦日!

★大晦日だす!ぐは。    

        2017年12月31日  記

今年もあっという間でしたね。

この間までセミの鳴き声の中タンクトップで汗だくになって竹を加工したり、虫さされ対策でハーブを育てて成分を抽出したりしていたのに。

なんか今年は急激に寒くなった感じ。そして雨も多かったので、あまり青空の下で秋を満喫することが出来なかったように思います。

でも晴れた日はとっても空気がおいしいです。

 

★さて更新がだいぶ久しぶりになりました。

主に通信環境の変化でいろいろエネルギーを使う必要があったのと、もらい事故で車の修理に1ヶ月以上というのがとどこおった原因です。あと各種保険の見直し。

 メインで契約しているDion( 現au One net )がホームページ公開サービスを10月いっぱいで終了、というので、徐々にこのJimdoサービスに移行していたのですが、完全に移りました。

そ のためもともとアップロードしていた膨大なコンテンツを自分のMacにダウンロードする必要があったのですが、FTPソフトで作業していた古い Mac(G4)が起動しなくなってしまい、さまざまなパスワードがわからなくなってしまいました。そこでau One netに問い合わせて本人証明して郵送で送ってもらったり、これが種類に寄って別便になったり、かなり手間がかかりました。

そのコンテンツをJimdoに移植しようとしたら、今度はJimdoがログイン方式を変えてきた、という感じで手間取りました。

  また、20年ほど使って来たPHS(携帯電話)、運営はウィルコムから現Yahooモバイルになっていたわけですが、ブラウザーを一切使っていないのに請 求が極端に高くなる月が時々あって、あまりに信用出来ないので解約しました。問い合わせても誠実さが無く、「Yahooモバイル以外」でiPhoneに変 える計画を遂行したのです。驚いたことにこんなに長期継続していたのに、やめると損になるという要素が無かった。まあ、ひどい会社ですね。正式キャリア (通信会社)の劣化版なんですね。みなさんお気をつけあそばせ。

 熟考の結果、出先で調べものやメモが出来て、録音も出来て、デジカメが今 手元になく(理由は以前書きました)写真や動画を手早く撮影出来て、自動車運転中に道に迷った時地図として使えたり、渋滞を回避する役にも立ち、レッスン 時に伴奏音源を鳴らすことも出来るし、自分の作品を聞かせることも出来るし、PHSサービス自体が削減されていくことになっている風前の灯ということ等か んがみて、さすがにスマートフォンが必要になってくると判断しました。(その他アドレス帳や目覚まし時計代わりにもなっています。電話は5分まで無料。)

音楽作品を世界に発信するためにも必要な機材と判断して、Yモバは解約でキャリアもので契約しました。

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↑ハーブで虫除けスプレー作り

摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。
摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。

★合宿から戻って来ました。

                  2017年8月17日 記

いつも行く茨城県の田舎にある分校跡で、後輩の美大生達が子供達を集めて作ったり、遊んだり、食べたり、踊ったりします。(5月に書いたブログを参考に)
私自身の今回のテーマは植物との共存。薬用植物を身近に活用ということ。

  前回書いた6月の梅や杜仲の葉ワークから、発酵を調べたりしているうちに、ハーブの研究をしだしました。ミントやレモンユーカリ、ゼラニウム、ステビア 等、苗を買って来て育てたり、エッセンシャル・オイルやドライハーブを入手したり、メディカルハーブの本を図書館でたくさん借りて、勉強してます。でも一 般的なハーブティーやアロマテラピーという利用法よりも、虫除けスプレーと、痒みどめを作るというのがまず目標。カやブヨに刺されるのはいやですからね。 理想は自分で育てたハーブの葉から蒸留して成分を抽出して、スプレーや軟膏等を作ることです。

 どの本を見ても、精油(エッセンシャル・オイルのこと)を 何滴混ぜるとか、インフューズドオイルやチンキの作りかたなどは書いてありますが、精油そのものの作り方は載っていません。そこで調べてみると、結局ハー ブの葉や花などを蒸すかゆでるかして水蒸気として取り出したものを水滴に戻す感じとわかりました。あまり家でお手軽に行う感じではなく、専門店では5ml で1000円などで売っていますが、チャレンジ精神が旺盛なもので、いろいろ試してみました。本来は理科室などにあるビーカーやガラス管、アルコールラン プ等でしっかり組み立てるか、高い機械を買うものですが、スペースもお金もありませんので、いろいろな図を書き写してみて、梅の発酵観察等で利用した 100円ショップのガラスコップでできないかな、ということでやってみました。

 まずは水だけ入れて水蒸気をホームセンターで買ったシリコ ンのチューブを通って水滴で取り出せるか、いろいろ実験した結果、できました。いったん冷めてからセージのドライハーブと水を入れ、徐々に温度を上げて行 くといい香りがして来て、ポタ、ポタと器にたまってきました。とても強い香りです。これが精油なんですね。チューブはとても熱くなるので水を溜めたボウル を通して指で角度を調節しながら冷まさなくてはいけません。(注:これを読んでまねして事故にあっても責任を持ちかねますので、安易に行わないでください。)

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↑完熟梅ジャム作りました。杜仲茶の葉も。&ヒグラシ初鳴き。

★完熟梅ジャム作りました。&ヒグラシ初鳴き!

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↑連休の薪割り

               2017年5月12〜17日  記

今年もGWに茨城県の「分校」に行って参りました。
2日間チェーンソーで丸太を切りまくり、斧やくさびで割って薪にしました。

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