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↑ハーブで虫除けスプレー作り

摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。
摘心したあと。すぐに横に若芽が現れます。すごい生命力。レモンバーベナで、前回書いた自家製梅酒に入れました。

★合宿から戻って来ました。

                  2017年8月17日 記

いつも行く茨城県の田舎にある分校跡で、後輩の美大生達が子供達を集めて作ったり、遊んだり、食べたり、踊ったりします。(5月に書いたブログを参考に)
私自身の今回のテーマは植物との共存。薬用植物を身近に活用ということ。

  前回書いた6月の梅や杜仲の葉ワークから、発酵を調べたりしているうちに、ハーブの研究をしだしました。ミントやレモンユーカリ、ゼラニウム、ステビア 等、苗を買って来て育てたり、エッセンシャル・オイルやドライハーブを入手したり、メディカルハーブの本を図書館でたくさん借りて、勉強してます。でも一 般的なハーブティーやアロマテラピーという利用法よりも、虫除けスプレーと、痒みどめを作るというのがまず目標。カやブヨに刺されるのはいやですからね。 理想は自分で育てたハーブの葉から蒸留して成分を抽出して、スプレーや軟膏等を作ることです。

 どの本を見ても、精油(エッセンシャル・オイルのこと)を 何滴混ぜるとか、インフューズドオイルやチンキの作りかたなどは書いてありますが、精油そのものの作り方は載っていません。そこで調べてみると、結局ハー ブの葉や花などを蒸すかゆでるかして水蒸気として取り出したものを水滴に戻す感じとわかりました。あまり家でお手軽に行う感じではなく、専門店では5ml で1000円などで売っていますが、チャレンジ精神が旺盛なもので、いろいろ試してみました。本来は理科室などにあるビーカーやガラス管、アルコールラン プ等でしっかり組み立てるか、高い機械を買うものですが、スペースもお金もありませんので、いろいろな図を書き写してみて、梅の発酵観察等で利用した 100円ショップのガラスコップでできないかな、ということでやってみました。

 まずは水だけ入れて水蒸気をホームセンターで買ったシリコ ンのチューブを通って水滴で取り出せるか、いろいろ実験した結果、できました。いったん冷めてからセージのドライハーブと水を入れ、徐々に温度を上げて行 くといい香りがして来て、ポタ、ポタと器にたまってきました。とても強い香りです。これが精油なんですね。チューブはとても熱くなるので水を溜めたボウル を通して指で角度を調節しながら冷まさなくてはいけません。(注:これを読んでまねして事故にあっても責任を持ちかねますので、安易に行わないでください。)

100円ショップのガラスコップでハーブの蒸留。精油がとれます。管を冷やすのにコツがいります。右下に見えているのは持って行ったステビアの鉢。食べると甘いのでみんなびっくり。
100円ショップのガラスコップでハーブの蒸留。精油がとれます。管を冷やすのにコツがいります。右下に見えているのは持って行ったステビアの鉢。食べると甘いのでみんなびっくり。


★それで道具類と買った精油2種、ドライハーブ、育て中のハーブの鉢2つを持って行き、写真のようにセットして蒸留してみました。

 そうして虫除けスプレーを3種類作りました。まずミントの精油からと、育てたゼラニウムのチンクから作れました。ローズマリーを水蒸気蒸留したものはやや濃いため、割合を探り中で、先の2つを寄付してきました。

こういうことを“ぶんこう”空間でやることでこの手法に興味を持ってくれる学生がいたら独自の文化として広がるかも、というきっかけの意味もあります。

 

  また、近所の農家の方とお話しできました。するとやはり例の「梅肉エキス」がお腹に効くとか、日常的な発酵食品の作り方、民間療法など話が通じて盛り上が ります。例の杜仲茶の葉に興味がおありのようで乾燥させた葉を差し上げて来ました。代わりに取り立てのナスを頂きました。
また、古くから交流のある近くの乾物屋さん(お菓子屋)に例の完熟梅ジャムをお分けしたら自家製ブルーベリージャムを頂きました。こうした自作の食べ物で、ある種の物々交換的になるって田舎ならではですね。
 実は私はこうした、生ものでの交流は本来苦手な方で、学生時代仲間がそうした活動している間、音楽や芸術表現の追求にエネルギーを向けていました。その 分を今になってなにか償おうとしているのかもしれませんね。少しだけ進歩出来たということです。また、近年の活動内容に“ぶんこう”ならではの広がりが薄 くなってきているので、失なわれないようにという意識もあります。

★ブヨ刺され対策にはなんといっても「ヘビイチゴの焼酎漬け」です。これの2年ものを持って行ったので、刺されたこどもに付けたら、やはり効きました。(写真、右の瓶)

さらに天日干した杜仲の葉を持って行っていたので、煮だした葉っぱをパップ(直接当てて絆創膏等で止めておく)のもやってみました。これは最近自分でかゆかったところにやったら効果があったので。

 

 そして例の自作の2種類の梅酒も学生達に好評でした。焼酎で作った方は、ベニシアさん(イギリス出身→インド長期旅行→京都で古民家使ってハーブ中心のオーガニック生活)の影響で、レモンバーベナの葉も漬けてあります。ブランデーで漬けた方は超濃厚になってます。

  氷や冷水で割ったところに、持って行ったミントの鉢から、目の前で葉っぱをもいで乗せて、爽やかな「モヒート」状態にして。新鮮! このあまじゅっぱ〜く て、ス〜っとする元気の出る味に、ハマる人はハマるみたいで何倍もおかわりしていました。詳しくはまた後日写真入りで。

 

★その他、「スイカ割りの棒」が必要ということで、中学生たちと学生で、木の枝から作りました。まっすぐめの硬い枝を選び、細い枝葉はナタで落とし、外皮を削り落とし、滑らかになったら火であぶって小さなささくれを排除しました。さらに焦がしては「皮手」 などでこすってすべすべにして持ちやすくし、ハーブ作業用に持って行っていたマカデミアナッツオイルを少々塗りこみました。これは保護の為ですね。

 前にも書いたバルカン半島の笛Kavalを作る映像を見ていたので、やってみました。

さらにオリーブオイルを塗っては拭いてと、染み込ませて耐久性を出しました。学生時代に、木を削って作った器に「拭き漆」をやらせてもらったことがヒントになっています。(自分は油絵専攻だったのですが、熱意があると木工の先生が特別にやらせてくれたのです)

最後に、焦がして色の濃くなっているところに、一緒に作った人たちの名前を各自が刻んで記念としました。

 まあ、たんなる「木の棒」なんですが、アフリカの杖みたいな、代々伝わる的な、魔術的な、渋〜い風情が出て、ほんのりいい匂いもして、こども達にはかなりお気に入りの一品となりました。

  私は、こういう風に「どこでも図工教室」というか、「はじまっちゃう系」というか、自然素材を使って即興的に、ちょっとした知識の応用と道具の手作業を 使って作る活動が好きです。あまりインスタントでちゃちなものは物体も心にも残りませんし、かといってあまりにも難易度が高くて時間がかかりすぎるのもつ いて行けない子が出てしまいます。なんとなく作業が見えて、変化が起きて、五感で受け取るちょっとした驚きがあって、充実感を得られる活動がよい、そして 私がいつも気にかけているのは、大災害や、まわりに便利なものが無かったり、遭難したり、という時に機転を利かせれば役に立つような要素を含んでいるのが いいな、と思うのです。私は教員時代、授業でこういうことを重視していました。それも学生時代にこの“ぶんこう”での活動に感化されたからです。

 この棒作りも、校庭のまわりを歩いて枝選び、ナタでの作業、火を使った作業(熱の体感、湿った時の火起こし、皮手の耐熱性、火男=ひょとこの話)、油を塗りこむ、名前を刻む細やかで美術的な作業、手触りの良さ、匂い、そしてスイカ割りに使うという実用性、と多様なフェイズを持っている点、多様性に惹き付けられるものがあったのかもしれません。

  しかしこういう充実した状況を創出するには、リードする人間にそれなりの力量が必要とされます。デジタルではなく、刃物類を扱う技術、水や火や油、土、 木、石、風などの性質を体験的にも科学的にもある程度理解していること、対象の素材が適しているか判断する経験や感性の蓄積、いっしょに作る人を飽きさせ ない話術やリズム、その活動にまつわる余談的な関連知識を持っていてイメージの広がりを喚起できる技量、必要になりそうな道具をあらかじめ察知する嗅覚と 調達する能力、安全性の確保、もちろん体力、最後に魂、といったものです。

 今の学校教育の現場では教師がなかなか持ち得ない部分ではないでしょうか。

(教 員を育てる大学や養成学校、教育委員会自体がこれを理解出来ていませんから。何せその上に鎮座する文部科学省があのザマですからね。さらにその上の内閣 が、国を成り立たせてるのに重要な「エネルギー」について真剣にとりくんでいなくて、もう一方のエネルギーである「人材」そしてそれに必要な「教育」につ いて真剣にならないわけだから。真剣になるのは私腹を肥やすシステム、天下り先、特区などを利用したリベート、次期選挙、マスコミ対策、ぐらいですか。)

 私の場合は彫刻科の先輩方や、職人さん、林業に携わる人、そしてアマゾンで先住民のおじさんから少しずつ吸収してきましたが、まだまだ力量不足と思っています。今ハーブを育てるのに土の水はけのことや、葉を増やすのに摘心(剪定)したらすぐ芽が増えて3日後には新しい枝が広がっていく生命力(冒頭の写真)など、今更ながらの発見が多いのです。

  そして今は革細工をやろうとしています。実はお財布が壊れてしまったので、皮で作ろうというわけです。というのは、壊れて次のものを買う時に、毎回実用性 のよいデザインの財布が無いな〜と腹立たしく思っているからです。よさそうと思うものはべらぼうに高く、安いものは耐久性も劣る、という状況。教員時代の 工作用の皮(確か太鼓を作る為だったかな)が 余っているのを思い出し、思い切って自分でデザインして作ってみるか、というわけです。カード類の多い昨今たくさん収納出来てすっぽぬけにくく、小銭の出 し入れもしやすく、レシートも収納出来るもの。それで図書館から資料をいろいろ借りて来て用意しつつあります。なるべくジッパーなど出来合いの部品を使わ ず、「その手があったか!」という機能的なデザインを目指しております。

 

 

★あと、小さな子達と粘土で器作りもありました。学生がやっていて手伝ってほしいということでこれも即興的に参加して。以前は“ぶんこう”ででもさんざんやって、陶芸家になった人も多いのですが、最近は「土のこと」のとりくみが少ないようです。教員時代の授業でもやりましたが、短時間だし小学2年生だったりで「手びねり」なわけですが、ヘラも無いし、ドベ用の皿も無い、切糸用の針金も無い。大きい扇風機で乾きやすくなっていて粘土もいまいち粘りや可塑性に乏しい。

まずは簡易型の笛を短時間で作って吹いてみせました。このことによって粘土の可能性や興味と、私への信用を持ってもらうわけです。

 コップを作りたいと言う子もいる。そこで板状に延ばして組み立てることにしました。ひもを重ねて行くのは時間がかかるし、空気が入らないように押さえつけるには経験が居るので。

 手のひらで押さえつけて平らな状態を作り、ヘラの代わりに鉛筆の先で周りを切って底の丸い部分、壁の長方形を作り、接合部は鉛筆の先でギザギザバッテンに荒らしてからドベ(同じ粘土を水で薄めたもの)を塗って壊れないように押し付けます。うまくいきました。手で持つための「把手(とって)部分はコロコロころがして作った棒を慎重にカーヴさせて、接合部はギザギザバッテン+ドベで。ある女の子は「はにわ」にしたいということで、上向きカーヴと下向きカーヴにした棒を左右に接着し、顔は削って書きました。

  こういうことは蓄積が無いととっさに指導するのは難しいです。粘土や竹、木工というのはあらかじめ自分で試作したりして性質を把握しておくこと、年齢ごと の難易度を理解して、道具類を準備しておかないと気に入った作品で残すところまでたどり着くのは難しい。さらに焼き物の場合はいつ・どこで焼成するか、 こどもに立ち会わせるか、釉がけして本焼きまでやるか、壊れないように管理出来るか、など多様で時間を要する側面があります。「土や水」「火」いわば地球 へのリスペクトも持つべきと思います。そうしないと男の子なんかはちぎっては投げてといういたずら道具になってしまったり、途中でやめてしまったり、ただ の固まりで作ってしまったり(気泡が入っていて膨張したりで爆発する)、焼く作業は人任せ感覚になって自分の作品と言う達成感がともなわなくなったりして しまいます。

 かといってあまり「やきもの道」感や 教条主義的になりすぎても、とりくみにくい もの、めんどうくさいもの、として敬遠されてしまいます。これはやきものに限らず、和紙作り、竹細工、染め物、織物など日本が自然素材と育んで来た文化が 失われて行く原因でもあります。まあ指先で触れるだけで相手を殺すゲームや、辞書を持ち歩かず文字を入力するだけで調べ物が出来たり、名前も明かさず批評 できるといったデジタルガジェットに囲まれ「単一動作」で育った人たちにとっては手強すぎるし、「我慢弱い」世代にとっては職人さんに習おうにも気難しい 人が多くて面倒、ということになりましょう。

 となると技術や経験は上回っていて、でも一緒に探求してくれる、社交性のある人物、という存 在が重要になってくるのですが、現代の生活ではそういう機会も空間も時間もありません。学校も政府もこのことには気づいていません。定型を権威で押し付け て来るか、いかにもお役人仕事の一過性の体験教室、すでに興味を持った人への強化制度、といった感じで、職業として専門家になるとは限らないが、仕組みや 技術を理解してある程度再現性のあるように体得させて日常に根付かせるという視点がありません。だからこどもたちにとってはいきなり職人になりますか?そ れとも関わりにはならないですか?というような二者択一的な雰囲気になってしまう。ちょこちょこおじいさんの手仕事を手伝う、という空間にはならないん だ。

 すると安易に欲求を満たしてくれるガジェットに走る、ということになって行くのですね。

 音楽界も同様で、すでに定型のあるクラシックでは習得システムが熟成して来て裾野も広いので、世界的に通用する人が出て来てます。これは野球界も 似ています。ところがクリエイティビティやオリジナリティが重要とされるポップスなどでは世界に全く通用しません。児戯以前です。国内でもこのクオリティ では・・恥ずかしいです。CDが売れないのも当たり前。

 ワンパターンではない素晴らしいものを作るには、音階一音ずつの性質の把握、それ が和音が変われば変容すること、セカンダリードミナントの意味や借用和音、分数コードやテンション、ポ リコード、ペダルトーン、クリシェの応用、インターモジュレーション、非和声音、アンティシペーション、カウンター、既出の名曲のアナリーゼ、音域の棲み 分け、リズムフィギュアの精査、当然演奏技術、音域を広げる歌唱力などを学ばなければいけませんが、めんどくさがって敬遠して安易な切り貼りに終始してい るのです。教えられる人もいないし。中学・高校の音楽の先生で今書いたこと例を示しながら教えられる人、5人居るかな・・というところでしょう。

  こうしたことは既にビートルズなり、バカラックなり、デヴィッド・フォスターにクィンシー、スティーヴィー・ワンダー、スティーリー・ダンらがとっくに確 立していることで、それらをアナリーゼして手法化できる人がいないのですね。メソッドがない。あわせて歌詞の世界もメタファー文化が無いし、ポエトリー文 化は低迷の評価も低い、文学のステイタスが低い、哲学的思索も敬遠されるという日本において発達できないのですね。ディランやジョニ・ミッチェル、ニー ル・ヤン グらから学びとろうという動きも無い。英語が苦手だからですね。

その結果、ただの散文になってしまい、使い古された単語のコピペ、使い回し。

まさに毎日新発売の駄菓子オンパレードという様相。

  いい音楽を作るというのはやたらコンプレッサーで音量をあげまくったり、下手な歌をデジタル修正しまくったり、歌唱力不足をユニゾンでごまかす、タイアップやお化粧でビデオ売り込みする、お遊戯振り付けで取り上げられることをねらう、ということではございません。デジタル機材の普及によってますます安易に 切り貼りできるようになり、作り手も低年齢化、本格的リスナーには通用しないから対象も低年齢化、低精神年齢化、曲そのものよりもイベント化・・・。

これでいいんでしょうか。

よ かーない。だから先述のように技術や経験は上回っていて、でも一緒に探求してくれる、社交性のある人物、という存在が重要になってくるのです。ギターはあ る程度弾ける、でもスティーヴィーのこの部分どういう仕組みなの?ビートルズはなぜこの和音進行を思いついたんだろう?という時、または鍵盤である程度 コードを弾ける、でもドナルド・フェイゲンのこのハーモニーは?という時に一緒にひも解いてくれるような人物、それが日本のポップスを底上げしてくれるわ けですが。そういう人物を育てなければいけない。かつてPP&M等フォーク初期や、ベンチャーズ・ブームという時はギターなので、まああったんで しょうが、鍵盤の技術とジャズ・ハーモニーの手法が取り入れられたものになってくると、無理なんですね。それは日本のピアノ教育が楽譜偏重主義で、和音の 仕組みや編曲の根拠、即興力を教えていないからなんですね。作られたものを弾くことは出来る、だがメロディーと和音がどうしてそうなっているのかわからな い、この和音進行で自由に旋律弾いてごらん、という学びが無い。だから専門的な学校で学ぶか、イージーなものに終始するか、ということになっちゃう。

 というわけで、身近にありながら奥の深いものと、知識不足の我慢弱い人たちとの関係の難しさについて、伝統工芸もポップスも同じような構図なんですね、ということを述べました。

★さて、私は上記の活動のさらにアナザーディメンションでいつもの「ヒグラシ録音」をしてきました。朝4時です。以前書きましたように「UFO鳴き」を解明する為です。

 長くなりましたので合宿関連は今回はこの辺で。

東京に戻って、雨続きもありヒグラシはもう息絶え絶えですね・・。寒戻りならぬ「梅雨戻り」?

✴︎帰って来ると世界陸上もすごかった。
ボルトのラストラン、ガトリンの念願かなう、超人ファラー、アリソン・フェリックス健在、と見所たくさんでしたが、私的にはダフネ・シファーズ(本来の発音はスキッパーズ)選手に釘付けでした。これらはまたの機会に。

 

 

✴︎最後に、8月15日は終戦記念日です。

みなさんいかが過ごされましたか?

  私は近くの大悲願寺という大きめのお寺に行ってお経を唱えてまいりました。戦死者が安らかに成仏できますように、そして世界が平和でありますようにという祈りを込めて。それも表面的な儀式に終わらないよう、できる限り亡くなった現場をイメージして。
終戦記念日といってもそれは日本国内で言っているだけ。昨年詳しく書きましたように、世界的には実際に武装解除して調印した 9月2日が終戦です。
今年も秘匿されていた情報や映像が公開されたり暴かれたり、今まで語るのをためらったり拒んでいた人たちが思い口を開き出したり、聞き取り録音テープが発見されたりして、今まで情報操作されていた部分など明らかになって来ました。

次回書きますね。

 

 それではアッリヴェデルチ!

                  2017年8月17日 記