連休の薪割り

               2017年5月12〜17日  記

今年もGWに茨城県の「分校」に行って参りました。
2日間チェーンソーで丸太を切りまくり、斧やくさびで割って薪にしました。

 分校とは
この場所は以前にも何回か書いていますが、広い田園地帯の中に建つ1階建ての古い木造校舎で、廃校になってからかなり経ちます。もとは美大生が美術教育の 実践のために一時的にお借りし始めて、今は主に春と夏に地元の小学生達と、美大近辺のこども達を集めて図工教室を行います。
 ここでの生活では古くからの知恵を活かそう、学ぼうというテーマのもと、火力に薪をかなり使います。かまどでのご飯炊きとお風呂、薪ストーヴがメイン で、大きな鍋でうどんをゆでたり、時々バーベキュー(大きな鉄板焼き)やピザ焼き、工作等にも使うので、あらかじめ割って乾燥させておかなければいけない のです。
 地元で間伐材や取り壊した廃材、丸太から角材をとったまわりのバタ材など寄付されたものをチェーンソーで切ります。それを現役美大生とOB、中高生たちが斧で割るのです。

 くさび
 今回のトピックは鉄の「くさび」を有効利用出来たことです。

丸太を割る時に直径50cmぐらいになると、芯材(赤身ともいう)は 硬いし、まだ水分を含んでいるとねばるのでみんな苦労しま す。斧が抜けなくなったりします。これがみなさん意外に出来なくて、持ち上げて叩き続けたり、力任せに抜こうとしたりして動かなくなり、のせさん、出番で す、みたいになる。私は斧の刺さった丸太を横にして、丸太の端を軽く蹴ると同時に斧の「持ち手」の端を反対方向に手で叩きます。するとテコの原理でかぱっ と角度が開くようにゆるむので、すぐ抜けます。手強い時はいったん逆向きに持ち手をトンっと叩いてからもう一度開くようにすると抜けます。

 そうしてまた縦に置いて割りなおすわけですが、労力と手間がかかるのです。そこで、斧の先だけのような鉄のかたまり「くさび」を重たい大きいハンマーで叩くのをやりました。

 まず断面の、年輪の中心に軽く打ち付けて自立するようにします。本来は横にネジ穴があって、細めの金属棒をねじ込み、助手が横 で支えておいて叩くようです。でも気をつけて軽く叩けば素手で支えていても大丈夫だし、慣れれば一人でもくぎを打つ時のように片手で支えておいてハンマー を短く持って5、6回コンコンやれば自立状態に出来ます。

 

 くさびを2本使う方法もあるようですが、一個しかなかったので今回は中心に打ちまし た。また、地面から生えていた時の地面側から割るといいということなので、枝の付け根の方向を見て、どっちが梢(こずえ)だったか判断して、逆さに置きま す。枝が見つからない部分では樹皮に苔が生えていたので、よ〜く観察するととても小さな葉っぱが太陽を求めて上を向いているのでわかります。


 中心に刺さったらあとは思い切って叩き込みます。斧と違って金属どうしですから「ガィん!」「ゴィん!」とにぶい衝撃音が響きます。くさびは厚みがだん だん太くなるようになっていて、太い根を切る系(チェーンソーが無かった時代は木こりが横に振って木を倒していたタイプ)の斧の刃とは違ってかなり急激に 分厚くなるようテーパー(角度)がついたデザインです。
 15㎝ほどの長さの6㎝ほど食い込むと、亀裂が少し広がって行きますが、内部に含んだ水分がじゅぶじゅぶとしみ出して来ることがあります。そして10㎝ ぐらいまで食い込むとくさびが厚くなることで亀裂が広がり、ミシ、ミシっと内部でも裂けて行く音がします。悲鳴のようでちょっとかわいそう・・。

  最後残り3㎝ぐらいになると両端まで裂けているので、ラストの一打ちでばくっとまっぷたつになります。この時くさびは「カヒィ〜〜〜ン」とよく響きます。 鉄のくさびは刺さった状態からごろっと開放されるため音が伸びるのですね。音楽家の私としては刺さりはじめの状態だと振動は木によって軽くミュートされて いるけど強く叩いていない音(第1楽章)、深く入って行くと安定するので思い切って叩けるけれど、どんどんミュートされて鈍くなり(第2楽章)、ラストの 一撃は空中に開放されて振動が妨げられずにサスティーンが効くわけだな(第3楽章)、という風に理解します。
 割った人はみなさんたいてい「気持ちいィい〜」と言います(第4楽章・笑)。 

  半分になってしまえばあとは斧でいけますが、まだ硬そうなものはさらに4分の一に割ります。中心だった位置から少しだけ辺材(白太ともいう)のほうにずら してくさびを軽く打ち込み、自立したら思い切って叩きます。すでに半分になっているのであまり苦労せず割れます。細胞の結びつく面積が少なくなっている し、靭皮繊維や皮によって外周がつながっていた輪っかのような力が無いため、離れやすいのですね。
ここまで割れれば、大学新入生の女子でも中学生でも斧で割れます。もちろん安全に気をつけながら、レクチャーも受けた上でやりますが。日差しが強かったので写真のように両手が真っ赤に焼けちゃいました。

★こうしたことで夏に大々的に行う「夏の図工教室」にむけて用意しておきます。かなりの人数での活動になりますので。

 体力

★分校に行く前はたいてい体力トレーニングをしなおしてから行くのですが、今回も2週間ほど前から走ったり腕立て腹筋などやっておいたので、長時間の運転でたどりついてこれだけ労働をしても、結構持ちました。特に体幹トレーニングをしておいたのが効いた感じです。
夜はあまり夜更かしせずに、校庭の隅に小型のテント状態で、カエルの鳴き声を子守唄に寝たら、自然のエネルギーを充填された感じです。こうして翌日に備えました。
 私にとってこの「分校」は、ある意味「道場」で あり、未熟な部分を再確認したり、自由なアイディアで試してみたり、かつていたらなかった部分を補ったり、恩返しの意味もあり、出会いの場であり、いまだ 発見や驚きがあり、本人の心構え次第でいろいろなことを学んだり経験出来る貴重な場所なのです。もちろんインスピレーションを得て作曲もしますし、楽器の 練習もします。私にとってアート面での「ふるさと」のようなものです。

↓これは一昨年ですがピザを作って焼いた時の簡易かまです。

まわりは美しい田んぼに囲まれています。クリックで拡大
まわりは美しい田んぼに囲まれています。クリックで拡大

薪ストーヴの解体
 あと薪ストーブをばらしました。
ストーヴ本体は内側の灰を落とし、煙突はブリキの筒をはめてつないであるのでまわしたり軽く叩いたりしてばらして行きます。内側に着いた煤(すす)を、煙突掃除用の、棒の先の針金にたわしがついた道具(“ロミオの青い空”を思い出しちゃう)でこすり落としてから、ひもでくくって小屋にしまいます。
 一冬分の煤がついているので吸い込まないよう地面に落とします。私が現役美大生の頃、この内側の煤が蒸気の水分と混ざって黒い液体(薄めのタール?)になったのが煙突の継ぎ目からポタ・・・ポタ・・とたれて来たものです。当時はストーヴ本体は彫刻家の学生が鉄板で手探りで作ったものだったし、今ほど簡単に情報が手に入らないので、イメージや妄想力(笑)にたよって手作りしていたのです。
そこで逆手に取って、雨漏りのように落ちて来る液体のちょうど下に空の1升びんを置いて、一冬黒い液体を溜めました。それで絵画作品を描いたのです。環境 問題をテーマにしていたので、カドミウムや鉛やフタロシアニンなど色によっては毒性のある油絵の具やアクリル絵の具を使わず表現したいと思っていたのです ね。  描く為の和紙もこの分校の近くの農家でクワを切らせて頂いて、その繊維で漉きました。そのとき柔らかくするのにアルカリ性分で煮るのですが、こど も達と やった野焼き(縄文土器を作るように窯を使わず焼く手法)の時の木の灰をバケツでたくさんとっておいて、これを利用しました。漉くときには水の中に入れた繊維を撹拌(かくはん、混ぜる)しますが、沈殿しないよう「ネリ」という成分を混ぜます。これを業者でも粗い粉状の薬品を溶いて使いますが、私は古くからの方法で「黄蜀葵(トロロアオイ)」の種を入手して校庭の隅に植えて育て、その根から抽出して使いました。当時は本当にいかに純化した制作方法ができるかを

びんに溜めた液体は見た目は黒々していましたが、描いてみると割と薄いので、鍋で煮て水分を減らして濃くして描きました。
次回組み立てる時にブリキの煙突をはめるのに相性があるため、養生テープ(はがしやすいガムテープみたいなもの)にマジックで番号と方向の↑印を書いて貼っておきます。すると迷わず組み立てられるのです。


★他に、中学生等にギターを教えました。2本持っていったので1本は初心者に1本は私が見本を押さえてという具合で。ある程度慣れたら2人に持たせて、基本コードを一緒にあわせます。昨年夏の図工教室でも教えた子達だったので徐々に思い出してきてました。
歌本やネタノートを持って行ったので、みんなで歌ったりもしました。

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ピアノの調整

 あと古いアップライトピアノがあるのですが、これが調律や音色、タッチ等あまり にもひどいので、弱音器を自作して、柔らかい音で弾けるようにしました。ピアノの弦は中音域はたいてい同じ音に3本張ってあります。鍵盤を押さえるとフェ ルト付きの木のハンマーが弦を叩くことで音が鳴るしくみになっているわけですが、グランドピアノでは真ん中のペダルを踏むと打つ位置がずれて叩く本数が減 ります。アップライトピアノでは違う仕組みで、ハンマーと弦の間にフェルトのカーテンのようなものがはさまるようになっております。
 詳しくは次回。今回はこの辺で、キャンプ道具など、続きは次回で。

                Sehen wir uns wieder !

 

                 2017年5月12〜17日  記